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ブックマーク / www.tapthepop.net (6)

  • 音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

    Home Extra便 音楽史のターニングポイント「ロックは日語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争 - TAP the POP 今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日語で歌うべきか、英語で歌うべきか」 今になって振り返れば、その論争は歴史の必然だったということがわかる。 タウン誌の先駆けとなった「新宿プレイマップ」1970年10月号に掲載されたその座談会は、「喧論戦シリーズ②ニューロック」と題されていた。 いわゆる”日語のロック論争”と言われたのは1971年になってからのことで、ロック批評を標榜する雑誌「ニューミュージック・マガジン」に発表の場を移した後になる。 しかし発端になった「新宿プレイマップ」の誌面からは、実に生真面目な話し合いだったことが伝わってきた。 座談会に出席したのは内田裕也

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  • 追悼・片山広明~「まったく、酔うとなにをするかわからないヤツだ」と言いながらも、忌野清志郎が信頼していたバンドマン|Extra便|TAP the POP

    Home Extra便 追悼・片山広明~「まったく、酔うとなにをするかわからないヤツだ」と言いながらも、忌野清志郎が信頼していたバンドマン - TAP the POP 「日テナーの片山広明が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。」という情報が、地底レコードのホームページに掲載されたのは11月12日のことだ。 日の朝だったそうです。最後は地底レコードでCDをリリースしていました、RCサクセション・渋さ知らズでも活躍したSAXの片山広明が亡くなったとの情報を夕方に知りブッタマゲました。 長年の酒の飲み過ぎでの肝不全ですね。キヨシローさんが亡くなる前に死んでいても不思議はなかった片山さんですが、肝硬変が悪化して遂にというかそりゃそうだろと思うぐらい悪くなっていたようですね。 病院を変えて検査を充実させたり、手術をしたり良くしようとは努力していた様子はみてとれましたが、昨夜に具合が悪くなり

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  • 権力と恋に落ちたミック・ジャガーがチャーリー・ワッツに殴られた夜

    ミックとキースの争いを冷静に見つめていたチャーリー・ワッツ ロックスターのイメージを創り上げたキース・リャーズが壮絶なドラッグ地獄から抜け出した経緯については、『キース・リチャーズと権力との闘い〜絶望の淵で天使を見た男』に詳しいが、今回はその後のストーンズに勃発した深刻な問題とちょっとした伝説について記しておこう。 それはキースにとって「唐突な出来事」だった。1980年の『Emotional Rescue』に収録されたラストナンバーでキースが歌ったバラードの名曲「All About You」は、長年時を共にして別れたアニタ・パレンバーグへの想いを綴ったと思われていたが、どうやらキースに言わせるとミック・ジャガーとの当時のギクシャクした関係も込めたものらしい。 ショーをこのまま続ける必要があるのなら お前抜きでやっていこうじゃないか もうほとほと嫌気が差したぜ お前みたいなろくでなしに付き合

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  • ジミヘンが生放送で突然クリームの曲を弾いた理由とは?

    1967年の夏にモントレー・ポップ・フェスティバルで脚光を浴びてからというもの、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの人気は留まるところを知らなかった。 アルバムはどれも大ヒットし、1968年にリリースした3rdアルバム『エレクトリック・レディランド』は全米で初のチャート1位を獲得する。 スケジュールはツアーの予定で埋め尽くされ、疲労とプレッシャーを酒やドラッグでまぎらわす日々を送っていた。 そんな中、ジミが時折起こすトラブルや音楽面での衝突などから、少しずつジミと他のメンバー間の溝は深まっていき、エクスペリエンスは解散へと向かっていく。 英BBCのテレビ番組『ハプニング・フォー・ルル』に出演したのは、1969年の1月4日のことだった。 番組のホストを務めるルルは、「いつも心に太陽を」を大ヒットさせた女性シンガーだ。 収録前、エクスペリエンスのメンバーは番組プロデューサーから、ルルとデュ

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    klaftwerk
    klaftwerk 2015/06/17
  • B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ

    Home Extra便 B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ - TAP the POP B.B.キング(B.B.King)のブルース 少年時代のB.B.はある日、お金を貯めようと思いついて、舗道に座ってギターを抱えてゴスペルを歌うことにした。すると、通り掛かった男が立ち止まって聞き入りながらハミングをし始めた。いい兆しだ。気分が良くなったので次々と歌い続けた。 「神のご加護がありますように」 男は上機嫌でそう言った。B.B.も同じ台詞を返してチップを待った。 「なかなかうまいぞ、坊主」 「ありがとうございます」 「その調子で歌い続けるこった」 男は肩をポンと叩いて行ってしまった。他の人々のポケットからも1セントたりとも出てこない。そこでB.B.少年は方針を変更。別の日に世俗の歌を弾いて歌ってみた。歌詞など覚えていないので、自分で適当に作った。ゴ

    B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ
  • 山崎まさよしの「One more time, One more chance」をスタンダードにした映画、『秒速5センチメートル』

    かつてはバンドのヴォーカリストとしてカリスマ的な人気を博した若者が、バンド解散後に創作意欲を失い、人里離れた田舎でキャベツを育てながら隠遁生活を送っている。 そんな主人公がひとりの少女との出会いから、新たな曲を生み出すまでを寓話的に描いた映画『月とキャベツ』(監督 篠原哲雄)は、シンガー・ソングライターの山崎まさよしが主演して、1996年末に単館系映画館で劇場公開された。 クライマックスで効果的に使われた主題歌「One more time, One more chance(ワン・モア・タイム ワン・モア・チャンス)」は、山崎まさよしにとって初のヒット曲になり、息の長いセールスを記録した。 それから10年後、アニメーション映画『秒速5センチメートル』(監督・制作 新海誠)の主題歌として起用されたのを機に、「One more time, One more chance」はアニメファンに発見され

    山崎まさよしの「One more time, One more chance」をスタンダードにした映画、『秒速5センチメートル』
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