「1人で勝手に死ね」 登戸で起きた無差別殺傷事件にたいして上記のような発言は加害者の動機付けになりかねないから自重せよといった記事を読んだ。 今回の事件が無敵の人と関連して語ることができるかはわからない。容疑者が死亡している以上、憶測でしかない。なのでここで書く無敵の人に関する考察は事件とはおおむね関係ない。ネットの意見を読んでいて無敵の人という人物像にたいしてなにか違和感があるから書いてみようと思った次第である。 さて、人と社会との関係がいかに犯罪の動機付けとなるかその個人の思考の内部までのぞきこまないと知りようがない。犯罪の動機はおおむね人々を納得させるために社会から求められるものでしかない。今回の事件に関して言えば犯人を無敵の人という人物像でくくることによって事件を解決するのではなく自分を納得させたいという「欲求」が働いているように見える。すべての動機は憶測でしかありえない。本人が動
![無敵なのは社会のほうである - メロンダウト](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ea09bb1cec046c978cd4c4f76a3f56de7a404fd4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51Enp5CHcdL._SL160_.jpg)