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ブックマーク / dlit.hatenadiary.com (2)

  • なぜ歯切れが悪い文章を書くのか - 誰がログ

    ブログ上部の「歯切れが悪いのは仕様です」という文言は実はかなり評判が良いです(最初に掲げたときはまさかこんなにリアクションがあるとは思いませんでした)。 はじめに さて、先日のエントリにこんなブコメが付きました。 人文系が嫌われるのはこのエントリみたいにぐちゃぐちゃして結論も論旨もわかりにくい文章書くからだと思った。 [B! はてな] (自虐としての)人文学は役に立たないとかなんとか - 誰がログ 確かに、自分で読み返してもそんなにすっきりした文章ではないと思います。 実は今までも折に触れ「長い」「わかりにくい」「結局何が言いたいの」のような感想はいただいてきました。「長い」はwebではわかりやすい文章にも付くことがあるということを差し引いても、後で自分で読み返してみるとごちゃごちゃした文章になっているなと感じることも多いです。 ちなみに、今まで一番思い切って歯切れ良く書いた(つもり)のは

    なぜ歯切れが悪い文章を書くのか - 誰がログ
  • 「なう」小考 - 誰がログ

    http://alfalfalfa.com/archives/386301.html を読んでふと。 アスペクト形式として ちなみに僕は全然使ってこなかったので内省?に全然自信が無い。 上の記事のコメント欄にも指摘があるけれど、(動)名詞に付く接尾辞「〜中」に近いかな、という感じ。「ダンスなう」で「今ダンスを踊っている」とほぼ同じ状況を表せているんだとすれば。 一方、文に付くというか動詞に後接する場合はよくわからない。問題は、「なう」だけで「ている」と同じように機能できるかということ。 (1) 雨が降るなう とした場合、「雨が降っている」と同じような状況を表せるだろうか。twitter初心者の僕は難しいのではないかと感じていて、やはり (2) 雨が降っているなう とするのが自然のような気がする。実際、「動詞+ている+なう」の組み合わせはよく見かける(もちろん、定量的に調べたわけではなくただ

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