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2008年7月22日のブックマーク (7件)

  • あすの会は一体なにがしたいのか? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    あすの会の迷走ぶりを見ていると、こちら側としてはいたたまれない思いすらする。 「死に神」問題 朝日回答に被害者団体不満噴出 「質問に答えてない」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080721/trl0807212116003-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080721/trl0807212116003-n2.htm 朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」が計13人の死刑執行を指揮した鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した問題が、尾を引いている。被害者を侮辱しているとして、犯罪被害者団体が朝日に2度にわたって投げかけた質問に対する回答への不満が、くすぶっているからだ。コラム掲載から1カ月が経過したが、死に神問題は、着地点が見えないままだ。(森昌彦) 「まったく質問に答えていない。被害者の言うこと

    あすの会は一体なにがしたいのか? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    "「誠実に答えた」としても「質問に答えてない」といわれればおしまいである。" 朝日新聞を死刑にできたら納得するということだろーな。
  • Apes! Not Monkeys! > 時事/歴史08 > 例のあれ

    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    露悪的な態度が本音として称揚されるのってなんだろな。
  • 2008-07-21 - やねごんの日記 しねよ カス!

    このブログを はじめたころ、わたしは だいすきな ロックンロールの ことばかり かいていた。そういう趣味とか じぶんの美意識に かかわることというのは、ことばにしても なかなか ひとに つたわらないものだし、わたしも それで いいのだと おもってきた。いまになっても その かんがえは かわっていない。 わたしは 政治的な はなしをするより、ロックとかブルースが すきで、ひとの演奏を きいたり、ギターを ひいたりすることが できれば、まあ しあわせよ、という にんげんである。あと、なんで この曲は こんなに すてきなんだろう、とか かんがえるのも すき。そういうわけで、むかし ある左翼の ともだちに、「きみは ほんと 耽美主義者だよねえ」と あきれがおで いわれたこともある。それも まったく接点のない べつべつの ふたりの左翼から、おなじように「耽美主義者」と いわれたのだった。 それが ど

    2008-07-21 - やねごんの日記 しねよ カス!
    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    在日と私がいわれないのは「在外ですがなにか?」と私が返答するのが明らかだからだろーなー。帰ってくるな、というコメントはなんどかあった。
  • http://www.asahi.com/national/update/0721/SEB200807210019.html

    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    模型ですって強調しないと海外に瞬く間に配付されてしまいそうな写真。
  • 自分で自分の首を絞める国 - すなふきんの雑感日記

    kmizusawaの日記〜我々の社会は「自 殺」という兵 器で人を消していってるのではないか?と思いついた社会や周囲の状況や社会的成功や周りの人からの愛情がどうであろうが超個人的な理由で死を選ぶ人は一定数いると思う。しかしそれが「親に怒られたから死にます」というようなものであっても、その人はそれまでの生活でいっぱいいっぱいになっていたのかもしれないと考えると、一見個人の弱さのせいに見える自 殺も、なんか余裕のない空気のせいもあるかもしれんなー。自 殺のほとんどは自分以外の何かに殺されているのだという話を読んだことがある。「もはや生きてはいけない」と思う気持ちを徐々に育んでいったもの…ってのはあるよなたしかに。「人並み」であるため「幸せ」になるためやるべきことが山のように設定され余裕のない社会、むしろ余裕を許さない社会(息抜きしたら叩くとか)、余裕はある程度資源のある人にしか許されない社会、

    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    宮台的にいうと期待水準と願望水準のギャップの話(国家に対する)に相当。
  • 映画『国道20号線』について長い文章を書きました - MIYADAI.com Blog

    ────────────────────────────────── 富田克也監督(相沢虎之助共同脚)の『国道20号線』がなぜ世紀の大傑作なのか ──映画が描く〈世界〉の中に私がいるというアレゴリカルな体験の貴重さ── ────────────────────────────────── ■この映画はいい作品かどうか。高校生の時分から映画の出来を評価する個人的な判定規準がある。第一は「〈世界〉は確かにそうなっているな」と思わせられるかどうかだ。後にヴァルター・ベンヤミンを学び、それが「アレゴリー」と呼ばれる性質に関わることを知った。 ■このような判定規準を誰かに教わったわけではない。映画の鑑賞体験を通じて自然に身についたものだ。だが私にとって決定的だった鑑賞体験がある。それは中二の時、新宿の『アンダーグラウドの蠍座』で立て続けに見た、若松孝二と足立正生の映画作品の体験である。 ■麻布中学

    kmiura
    kmiura 2008/07/22
    期待している若者像が得られないからフィールド止めた、ってそれ研究ではないなあ。社会運動家であって社会研究者でないことを再確認。/とはいえ、95年をふまえての96年は私にとってもターニングポイント。
  • 他者の軍事主義 - Arisanのノート

    歴史と責任―「慰安婦」問題と一九九〇年代 作者: 金富子,中野敏男出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2008/06/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (5件) を見るこののとくに序章と第1章では、二〇〇七年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「国民基金」)に対する厳しい批判が書かれている。 それらの批判に、ぼくは基的には賛同する。「国民基金」の運動の細部、それに関わった人個々の思いや発言、行動については、よく知らないので留保せざるをえないが、この運動とその結果に対するこのの論者たちの批判は、ぼくにはたいへん説得力のあるものだった。 だがその上で、「国民基金」と対立した側の運動のスタンスに、疑問を持つ点がないわけではなかった。 それは、韓国の研究者鄭鉉栢の論考「国民基金と被害者の声」(中野宣子訳)の次の一節を読んだときに感じたこ

    他者の軍事主義 - Arisanのノート
    kmiura
    kmiura 2008/07/22
     「闘争の勝利のために、時として個々の生命や生活を軽視する傾向がある思想」まさに。