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2010年5月5日のブックマーク (2件)

  • 「民間」という言葉 - 恐妻家の献立表blog

    少し前に放言した政治音痴の戯言http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100412/1271074489の追記で「自由を擁護し、徹底しようという発想から生まれた政策が、いざ実行されるや、客観的には全体主義的な社会を作り出してしまう。ここのところが今ひとつ上手く呑み込めない」と書いたが、いかにも中途半端だったので、sumita-mさんから飛んできたトラックバック記事http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271390292にアーレントが参照されていたのにヒントを得て、少し続きを書いてみる。 かつて小泉元首相が、民間でできることは民間へ、と訴えたときに、私はその主張にそれほど否定的な印象を持たなかった。民間にゆだねるべきことに政府が口を出すことは好ましくないと考えていたからである。 しかし、教育法改正案(自民党案)が出

    「民間」という言葉 - 恐妻家の献立表blog
    kmiura
    kmiura 2010/05/05
    フーコー、ビオポリティックスだっけ。
  • 経済が政治を - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100412/1271074489 広坂さん曰く、 ところで、新自由主義と新保守主義の相性がいいのは、新自由主義というものがその名前通りのリベラリズムではなく、優生主義に近いものだからなのではないかという気がしている。新自由主義を名前通りに、政治思想・経済思想の自由主義のニューバージョンとすると全体主義化する理由がわからなくなるが、優生主義の一種だとすれば社会有機体説を採るのだろうから、筋の通らないことではなくなる。新自由主義的政策に賛同する自称国家主義者に露悪的なまでの差別的言動や排外主義がまま見られるのも、原因はそんなところにあるのではないかなどと思う。卓見だと思う。 ただ、さらに根深い問題として、現代社会において〈政治〉が〈経済〉に乗っ取られてしまっているのではないかということを指摘しておきたい。よく言われる新自由

    経済が政治を - Living, Loving, Thinking, Again
    kmiura
    kmiura 2010/05/05
    "現代社会において〈政治〉が〈経済〉に乗っ取られてしまっているのではないか" ""こうして民主主義そのものはかならずしも批判の対象ではないものの、政治の領域の縮小が民主主義の縮小という結果をもたらしている。"