哲学, 読後メモ, 社会学 | 17:16 | 稲葉振一郎と立岩真也の対談「所有と国家のゆくえ」を読み終えた、全体的には「外堀を埋める」という表現の通りで個人的に新しいと思ったのは立岩の「所有」論だけだった。 「もうちょっとテクニカルタームを使えば本丸までいけたんじゃないの」と思わないでもないし、対談を通して立岩は立場の違いを明確にした喧々諤々の議論をやりたい様子なのだが、そこは稲葉が堅く避ける、ということの繰り返しのように思われた。 ギャラリーがちょっと違ったのかな。 ただ、そこを明確にしないという曖昧そのものが稲葉の立場なのである、という風に理解しておくべきではないか、とも言えそうなものである。 あるいは、それは稲葉の立場というよりは、ある種の行為規範かもしれない。 立岩は社会学者だが、彼のやっている「所有」論は、これは全き「形而上学」のように思われる。 そのことは本人も「これ