水俣病訴訟、たばこ病訴訟、ディーゼル排ガスなど大気汚染訴訟……。日本の公害裁判には必ずこの人の姿がある。岡山大学大学院教授の津田敏秀(50)。汚染物質の人体への影響を現地調査や統計分析を使って測定する疫学者として、手弁当で公害被害者側の原告団をサポート。提出した証拠に基づく数々の意見書は、その後いくつもの裁判の行方を変えてきた。 津田はなぜ、ここまで公害裁判にこだわるのか。「役所と学者の関係がヒドすぎるんですよ。当事者である被害者を排除して、学者は官僚の意図を酌むような形で、医学的に誤りだらけの見解や主張を裁判や政府系委員会などで行う。そして、それで判決が決まってしまうこともある」。 津田の活動の原点となったのは1980年代半ば、当時裁判中の宮崎県土呂久(とろく)のヒ素鉱害事件だった。岡山大学医学部を卒業後、臨床医になって九州の診療所や病院で働いていた津田の元に、土呂久のヒ素中毒患者がやっ