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ブックマーク / takeyama.jugem.cc (2)

  • 【マスメディアとつきあう12の方法】 Quid haec ad humanitatem? | 暴走と無関心(6)

    ■左から 「死児を抱く女」(「Miserere Nobis」)  「水を求めて」  「難民荒野を行く」  「戦禍を逃れて」  「解放の贈り物」 教育法の「改正案」を作った当事者たちが、悪名高きタウンミーティングの「やらせ質問」に直接関与していたそうだ。この事実を突いたのは共産党の井上哲士議員だが(11月30日、参院教育法特別委員会で質問。12月1日付「赤旗」で報道、北村隆志記者)、この指摘を殆ど全てのマスメディアが無視しているところに、この国の救いがたい病理があると見えるのだが、どうだろうか。 ▼文科省に「教育法改正プロジェクトチーム」という部局がある。2006年5月からこの名称なのだが、時系列で改名の歴史をたどると、 2000年に「教育改革官室」。 2004年8月に「教育改革推進室」。 2006年5月に「教育法改正プロジェクトチーム」。 ま、ずーっと

  • 【マスメディアとつきあう12の方法】 Quid haec ad humanitatem? | 遊就館の思想〜新年号通覧(その2)

    死ぬまえに、彼は小さな箱をくれた。 「大事なものが中に入っている」 彼が死んだ後、その箱を開けた。 箱の中には、何も入っていなかった。 何もないというのが、彼の大事なものだった。 長田弘「箱の中の大事なもの」 ▼先月は、過去最高の寒さだったそうだ。温暖化じゃなかったのかよ。東北や信越の方、大丈夫ですか? ▼4日に出した前号でぼくは、産経新聞の新年号の論調(主に外交についての主張)をヒントに、こう書いた。 その外交“戦略”の内側には、靖国の「遊就館」思想を根にした、「重層的」な国粋主義が息づいている。 遊就館への批判が直接に刺さらない、もしくは受け流せるような次元での言論フィールドの形成に成功した、といっていい。 批判する側は、遊就館が象徴する何ものかへ突き刺さる、根源的な重さをもった言論、新しい言葉を生み出せていない。 前号ではこの箇所を一番言

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