イタリア語ワンポイントレッスン (Piccola Lezzione d'Italiano) このコーナーは,イタリア語をまったく知らない人でも 日常的に使うイタリア語を簡単に学べてしまうという 日本一簡単な(!?)イタリア語レッスンです Rinuovata a 24/Agosto/2001
ジャイルス・ピーターソンのウェブサイトを久しぶりみていたら、日本で撮った写真ギャラリーがあった。その中の一枚。 http://www.bbc.co.uk/radio1/gillespeterson/galleries/55/2/#gallery_55 築地ではございませんか。仕事のあとそのまま行ったんだろうな、と勝手に想像。みていて思ったけどこのジャイルス・ピーターソンと東京ですれ違っても気がつかんだろうなあ。 寿司で思い出したが、昨日引用したワシントンポストの記事に「日本は目下ナショナルアイデンティティを模索しているところである」ってなことが書いてあった。日本のナショナルアイデンティティは私にとっては明白。和食、である。昨夜北海水産のあじの開きを焼きながら思ったのは、初等・高等教育で君が代を無理やり歌わせるよりも、鯵の開きの作り方とか、漬物の漬け方を無理やり習わせるほうがよほど効率的なナ
死ぬまえに、彼は小さな箱をくれた。 「大事なものが中に入っている」 彼が死んだ後、その箱を開けた。 箱の中には、何も入っていなかった。 何もないというのが、彼の大事なものだった。 長田弘「箱の中の大事なもの」 ▼先月は、過去最高の寒さだったそうだ。温暖化じゃなかったのかよ。東北や信越の方、大丈夫ですか? ▼4日に出した前号でぼくは、産経新聞の新年号の論調(主に外交についての主張)をヒントに、こう書いた。 その外交“戦略”の内側には、靖国の「遊就館」思想を根本にした、「重層的」な国粋主義が息づいている。 遊就館への批判が直接に刺さらない、もしくは受け流せるような次元での言論フィールドの形成に成功した、といっていい。 批判する側は、遊就館が象徴する何ものかへ突き刺さる、根源的な重さをもった言論、新しい言葉を生み出せていない。 前号ではこの箇所を一番言
先日、メルマガPUBLICITYで、靖国神社の敷地内にある「遊就館」のことについて書かれていたので、それについて書きたい。 http://takeyama.jugem.cc/?eid=388#sequel 去年の12月初め、ぼくははじめて靖国神社に行き、そのとき遊就館も訪れた。 明治時代からあり、内田百輭の同名の小説にも描かれているこの施設では、現在、特に近代以後を中心に日本が行った数多くの戦争の概要が説明され、そこで使われた兵器などが数多く展示されている。 (靖国神社にある施設なので)当然ながら、日本という国の発展を支えてきた戦争の歴史を肯定的に振り返り、あわせて、国のために戦って死んだ人たちの遺影や遺品を展示する、という展示方針である。 これだけストレートに近代の日本が経験した戦争の歴史を肯定している空間というのは、ぼくははじめて経験した。 戦争や人の死が、「国のために」というひとつの
9月。夏休み研究にけりつけなくては。 昨日書いた内容に関連することを加藤紘一が30日付で喋っている。以下引用。 僕は愛国心とかナショナリズムには、どうも今の日本を見ると3種類あると思う。 ひとつは、隣の国と戦ったり、抵抗したり批判したりする抵抗するナショナリズムです。これは国境線問題でも島の問題でも戦うナショナリズムです。これは政治家が使うと非常に効率的なナショナリズムだけど、非常に危ないナショナリズムです。 2番目は競争するナショナリズムです。サッカーでわがチームジャパンが勝てばワーと騒ぐ、WBCで王監督の下に勝ったとなると喜ぶ、それからイナバウアーで勝つとうれしいのです。さらにこれが、小学校の数学国際コンテストで勝ったとか、科学技術の想像力があるかとか、最後がGNPの競争です。これは健康な競争するナショナリズムだと考えます。 3番目は、誇るナショナリズムです。日本は『これなんだよ』と誇
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