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ブックマーク / www.ele-king.net (13)

  • スティーヴ・アルビニが密かに私の世界を変えた理由 | ele-king

    自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以

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    kno 2024/06/29
  • interview with John Cale | ele-king

    Home > Interviews > interview with John Cale - 新作、図書館、ヴェルヴェッツ、そしてポップとアヴァンギャルドの現在 ジョン・ケイルほどの充実したキャリアがあると、どこから話をはじめればいいのかわからない。ウェールズの小さな村ガーナントで、近所の教会でオルガンを弾き、地元の炭鉱労働組合の図書館が収蔵する楽譜に熱中したのがはじまりかもしれない。ロンドンでフルクサスの芸術家コミュニティと協働していた時期や、アメリカで名前の似たジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングと一緒に活動していた時期もある。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでロックのオルタナティヴな領域まるごとの基盤を築きもした──そこから派生するもうひとつのロック史を、モダン・ラヴァーズやパティ・スミスやハッピー・マンデーズなどのプロデュース仕事を通じて育んだことは言うまでもない。彼の長く多彩なソ

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    kno 2024/06/17
  • R.I.P. Steve Albini | ele-king

    5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作で死去。享年61歳。バンド、シェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』の発売を今月に控えたあまりにも急で早すぎる死だった。 80年代、学生時代にシカゴでジャーナリズムを学び、ファンジンのライターと並行して最初のバンド、ビッグ・ブラックの活動を開始。リズムマシーンとギター×2、ベースという編成。ドライなマシン・サウンドと金属的でノイジーなギター・サウンドをもってアンダーグラウンド・シーンで頭角を現した。 彼のバンドとしての活動は、ちょうどCDの登場する時期と重なっていた。ジャケットで日の劇画『レイプマン』の引用がされていることでも知られるアルバム『Songs About Fucking』の裏ジャケットには「The future belongs to the analog loyalists. Fuck digita」(未来はアナログ支

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    kno 2024/05/15
  • R.I.P. Mark Stewart | ele-king

    文:野田努 「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドフ

    R.I.P. Mark Stewart | ele-king
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    kno 2023/04/22
  • R.I.P. 鮎川誠 | ele-king

    連日レジェンド級のアーティストたちの訃報が続き、堪えるなと思っていたところへまたひとり……シーナ&ロケッツの、そして日を代表するロックンロール・ギタリストの鮎川誠が1月29日午前5時47分(シーナ!)に亡くなった。享年74歳。日中のロックンロール・ファンがいま、悲しみに暮れている。 昨年5月に膵臓がんで余命5ヶ月を宣告されてからも「一でも多くライヴをしたい」とツアーを続け、近年ではもっともライヴの多い一年になったという。最後までロックとライヴにこだわった生涯だった。 11月にはシーナ&ロケッツ45周年ワンマンを新宿ロフトで行った。ライヴ中にウィルコ・ジョンソンの訃報が入り、「ウィルコの分までロックするぜぃ!」と叫ぶ姿がYouTubeに投稿されている。 そんなウィルコ・ジョンソンやイギー・ポップといった鮎川とも交流のあったアーティストたちと同様に、鮎川はパンク以前とパンク以後、メジャー

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    kno 2023/02/01
  • R.I.P. Tom Verlaine | ele-king

    まあ、いまとなってはこっぱずかしい話ではある、中高生のときにロック、ことパンク周辺に夢中になってしまったぼくは、昼も夜も音楽のことばかり考えて、好きになった曲の意味をなんとしてでも知ってやろうと、辞書を引きながら一生懸命日語訳に挑戦したものだった。テレヴィジョンはサウンドはもちろんだが、ぼくにとっては歌詞の世界にもどっぷりはまったバンドだった。 “Marquee Moon” の出だしの言葉を、これまでの人生でなんど反芻したことだろう。「I remember how the darkness doubled/ぼくは憶えている。その暗闇がいかにして重なったのかを」 それだけで充分だった。暗闇は前提であって、それがどうしてさらに暗くなったのかが問題だった。冷たさや夜の空しさだけが真実だった。 そりゃあ私だって幸運だったこともある まやかしだったけれどね ローラはそう言った 彼女は目を閉じてしま

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    kno 2023/01/31
  • 断片化された生活のための音楽 | ele-king

    ※以下のイアン・F・マーティンによるコラム原稿は、web掲載した〈ラフトレード〉インタヴューと同様、別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』のなかの小特集「UKインディー・ロック/ポスト・パンク新世代」のために寄稿されたものである。今日の状況を知るうえでもシェアすべき原稿なので、ここに再掲載します。 Music for fragmented lives 断片化された生活のための音楽 イアン・F・マーティン(江口理恵・訳) written by Ian F. Martin / translated by Rie Eguchi ザ・スミスの再来とも言われ文学性が評価されているフォンテインズ D.C. by Vinters Pooneh Ghana UKは混乱した、幸せではない場所だ。貧困の拡大、ナショナリズムの高まり、ブレグジットから、選挙民が絶望しながら受け入れた狭量な保守主

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    kno 2021/12/29
  • Various ‎Artists | ele-king

    『Vanity Box』 幻の音源が一挙再発~動き続ける音の先端だけをとらえた記録 〈ヴァニティ・レコーズ〉ほど謎と伝説に満ちた日のインディ・レーベルはないだろう。一昨年に亡くなった阿木譲氏が『ロック・マガジン』の刊行と並行して78〜81年に主宰した大阪のインディ・レーベル(おそらくJ-インディ界最古)であり、そこからは、フューがリード・ヴォーカルをとったアーント・サリー、エレクトロニック・ユニットのDADAやシンパシー・ナーヴァスなどの作品がリリースされていた……熱心なロック・マニアであっても、おそらくその程度が平均的な知識であり、カタログ中の数枚はきいたことがある……といったところではなかろうか。 〈ヴァニティ〉からは4年弱の間に11枚のLP(うちひとつは2枚組オムニバス・アルバム)、3枚の7インチ・シングル盤、6のカセット・テープがリリースされ、その他にもロック・マガジンの付録と

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    kno 2020/02/03
  • R.I.P. 遠藤ミチロウ | ele-king

    最初に聴いたのは「スターリニズム」という7インチだった。報道では、「遠藤ミチロウはパンク・ロックのゴッドファーザーと呼ばれている」などと書かれているが、どうなんだろうか。 というのも、スターリンが登場したときはUKではパンクはすでに過去のもので、「スターリニズム」がリリースされた1981年においてはポストパンクすらも過渡期を迎えようとしていた。この年PiLは『フラワーズ・オブ・ロマンス』を発表し、ジョイ・ディヴィジョンの残党がニュー・オーダーを始動させている。ザ・スペシャルズが最後の力を振り絞って「ゴーストタウン」を出して、ザ・レインコーツがセカンドを、ニュー・エイジ・ステッパーズが最初のアルバムを発表している。パンクが終わり、アンチ・ロックンロール主義的なポストパンクが沸点に達しているときに、「スターリニズム」の1曲目に収録された“豚に真珠”のパンクのクリシェ(常套句)というべきサウンド

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    kno 2019/05/04
    パンクと日本の土着性
  • interview with Phew | ele-king

    説明不要だろう。媒体にも何度か登場したPhewはいうまでもなく、伝説的なパンクロック・バンド、アーント・サリーでデビューし、80年には坂龍一のプロデュースによるPASSからの「終曲/うらはら」でソロに転じて以降もながらく、この国の音楽の先鋭的な部分を支えるつづけるヴォーカリストである、と書くことで私はPhewがこのインタヴュー後半でいう禁忌を何重にもおかしていることになるかもしれないとおそれもするが、そのPhewがやぶからぼうにアナログ・シンセサイザーの弾き語りをはじめるにいたったのはいくらか説明を要することかもしれない。2010年の『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント〜万引き』で他者の楽曲を歌いきったPhewは小林エリカとのProject UNDARKで震災以後の原発――というより「核」と記したほうがよりニュアンスはちかい――問題を、電子音響と声(語り)で俎上に乗せ、それをひとつの

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    kno 2015/12/22
  • New Order | ele-king

    Home > News > New Order - ──バーナード・サムナーの自伝『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』刊行のお知らせ イアン・カーティスの死後、1980年の後半からニュー・オーダーとして再出発した彼らは、まず自分たちのサウンドをどのように創出するかで悩んだ。そして、新たなる音を創出するうえでヒントにしたものがふたつあった。ひとつは、ニューヨークで知り合ったDJから送られてくる最新のクラブ・サウンド。そしてもうひとつがベルリンに移住したイギリス人、マーク・リーダーから送られてくる音。バーナード・サムナーは、自分たちが“ブルー・マンデー”を生むまでの過程において、NYクラブ・カルチャーと同時にマーク・リーダーおよびベルリンからの影響をしかと記している。このくだりを読めば、日のファンは思わずニヤッとするだろう。ちなみに、──これは書には書かれていないが──

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    kno 2015/09/04
  • The Pop Group | ele-king

    サヴェージズが引き金になったのか、スリーフォード・モッズが風穴をあけたのか、モリッシーが背中を押したのか、まあとにかく、「パンク」が帰ってきつつある……のかも? あるいは、リップ・リグ&パニックが再発されたり、90年代のマッシヴ・アタックがリヴァイヴァルしたり、まあとにかく、ザ・ポップ・グループが35年ぶりに新作を出すのは、わかる。 ファンにとっては、マーク・スチュワート、ブルース・スミス、ギャレス・セイガー、ダン・カトシスの4人が一緒にスタジオに入って録音したという事実に感慨深いものもあるだろう。が、ザ・ポップ・グループはノスタルジーをはねのける。バンドのヴォーカリスト、マーク・スチュワートといえば、2年前のソロではいち早くブリストルのヤング・エコーのカーン、あるいはファクトリー・フロアといった若手を起用して、「さすが!」と周囲を唸らせた人でもある。だから今回もまた……と思いきや、なんと

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    kno 2015/01/28
  • 第21回:女の一生とカップ・オブ・ティー | ele-king

    仕事帰りにバス停に立っていると、見覚えのある中年女性が車椅子に乗っていた。車椅子を押しているのは、いつの時代の少女だよ。と思うような恰好をしたティーン。バレエのチュチュを鋏でギタギタに切ったものがスカート代わりで、上半身には自分で描いたらしいニナ・ハーゲンの似顔絵のTシャツ。いや、おばはんも極東国で16歳の頃まったく同じ恰好をしてましたよ。と目を細めつつそのペアを見ていると、先方もこちらをじっと見ている。 「あなたは慈善施設の託児所ででわたしの面倒を見ていたことがありますね」と、ニナ(・ハーゲンのTシャツの子)が言った。 「あ。そうだと思う。いっやー、大きくなったね。I love your T-shrit!」とわたしが言うと、車椅子に乗った女性が「おおおおおお」と鈍い低音で笑う。 顔の半分はうまく笑えていない。麻痺しているように見えた。 「母は具合が悪いんです」とニナは言った。 わたしはよ

    第21回:女の一生とカップ・オブ・ティー | ele-king
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    kno 2014/08/05
    スリッツのヴィヴの話も
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