「キズナアイ」騒動に限らず、ここ何年間かの「オタク」について、「オタク」と表現にまつわる言説を見ていて小生がずっと不快感を持っているのは、 「オタクはそんなに偉いのか」 ということです。「オタク」の表現は常に正しく、批判する者は表現の敵と吹き上がる、自己中心性というか万能感?
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へぇ…この人には、キズナアイをバッシングする人たちの騒ぎ方が大仰だと見えるんだね。私は、キズナアイの使われ方の問題点を指摘されて「オタク差別ダー!」と吹き上がってるほうが、騒ぎ方が大仰だと見えるけど。 https://t.co/dk7fCPQQbO
おれはキズナアイを見てじゅうぶんにポルノだと思うけど、もうその感覚が社会標準からすっかりズレてしまっているだろうことは容易に想像できる。でも社会標準側のみなさんには、自分たちがすっかり濃い味のラーメンに慣れてしまっているという事実は、できたら覚えておいてほしいとも思っている。
私がツイッター等で書く文章を「奇麗ごとの正論」だと冷笑する人は一定数いると思うが、日本に限らず、皆が「奇麗ごとの正論」を冷笑してそれを言わなくなれば、社会は飛行中にエンジンを止めた飛行機のように下へと落ちていく。「奇麗ごとの正論」という揚力があって、社会は現状の高度を維持できる。
採点中なのだが「ヘロドトスの『歴史』はマルクス主義的な考えに基づき書かれている。これは東欧の旧社会主義国であった地域に筆者が住んでいたからだろう」という答案の中の一文に驚愕。どこからきたこの知識。
本日、バイトで詐欺未遂がありました 自分はバイト故、詐欺の講習等も受けたことが無い為店長がいなければ大変な事になっていました。 拙い文ですが今後未然に防げるようにするため、お目通し頂けると幸いです #拡散希望 #注意喚起… https://t.co/GJjC5TTxnZ
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