テレビ見てなくって全然世間の話題についていっていないのですが、羽生選手が頭部を打撲した直後に試合に臨んだ件についていろいろ生産的な議論が行われているようです。私は価値相対性をかなり重視する立場をとっているので、こういう事象が起きた時に「是非」を考えてしまう人間の性をしばしば反省したりします。日本はパターナリズムにあふれていて、個人の選択や意思をないがしろに議論が進んでいくことが多いというのが一般的な私の印象です。 ところが、今回の羽生選手の件については、むしろ議論のフォーカスが「羽生選手の決断」として語られていることが多く、羽生選手を主体者として「立派だった」、「いや、将来を考えると出るべきではなかった」という意見が交わされているのを見て実に興味深いなと思いました。私の意見としては、「棄権する」ことについては羽生選手自身の決断とするべきだと思いますが、「出場する」ことについては彼の決断とす