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大学院と大学に関するkobayasiyasumiのブックマーク (5)

  • 大学院に行ってはいけない - 無色透明いろめがね

    もうちっと正確に言うなら、「日の大学院に行ってはいけない」かな。 日の大学院に6年も行った俺が何を言うねん、って感じですが。 なぜ大学院に行くのか 大学って、まー、全員とは言わないまでも行く人多いし 大学全入時代なんて言われて久しいし とりあえず行けば何となくモラトリアム?で気楽ってのもあるし まぁ、行けるなら行っとけ、っつーのも悪くないと思う*1。 でも、大学院は違う。 当の人がどれくらい意識してるかは知らんが、大学院に行くってのはつまり 大卒で就職する、ってチャンスを蹴ってる変わり者、なのだ。 特に日だと、変わり者でいつづけるのは大変だ。 近年は理系だと修士修了も珍しくないみたいだけど、 結局のところR&D系の職種に限られる気がする。 博士まで行ったらねぇ、って話は枚挙に暇なし。 さて、何故大学院に行きたいのか、って聞いた時に考えられる答えとして、ぱっと思い付くのは 勉強がした

    大学院に行ってはいけない - 無色透明いろめがね
  • 大学の教員になりたい全ての人のために - 武蔵野日記

    大学は4日が仕事始め。あまり人がいないのでゆったりと仕事ができる。 これまでにもらっていた修士論文のドラフトにコメントを入れ終わる。まだ送ってくれていない人もいるのだが、大丈夫なのだろうか……。とはいえ、例年は1月中旬がドラフト〆切で、今年だけ1ヶ月前倒ししているので、まだ例年並みなら書けていない人がたくさんいただろうし、そんなにビハインドがあるわけではないと思うが…… 昼過ぎ、とあるプロジェクトのミーティング。やはりいろいろな分野の人が集まると、刺激になるなぁ。問題は (実際に作る) 人手・時間が足りていないことで、こればかりはコツコツやる以外どうしようもないが……。 から「おもしろいよ」と言われて「1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側」を買って読む。 1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書) 作者: 中野雅至出版社/メーカー

  • 社会人から大学教授になる方法

    私の子供の頃の夢は「学者」さんになることでした。今ではウェブを生業にしていますが、大学院まで進学して、修士号を取得しました。さすがに博士号は、経済的な理由から断念しましたが。 大学教授になる方法 ずいぶん昔に読んだです。たまたま見つけて、読み直してみました。大学教員になるという夢が、久しぶりにこみ上げてきました。もしかすると、今の私にも、大学教授になるチャンスがあるかもしれません。 大学教授はお気楽な職業? 大崎教授の出勤日は、週二回、その他に、、週一回大阪でK大学の非常勤講師をしている。収入は、たしかに、大学同期で民間企業に就職した友人よりも低い。しかし、年間「就業」日は八十日、酒場では、一流企業の課長よりも、店主やホステスたちの扱いが上なのである。しかも、四十歳で教授になったら、あとは定年まで、クビになる心配はもとより、降格、減俸もないのである。 私が出会った大学の先生は、当にいろ

    社会人から大学教授になる方法
  • 放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞糞糞ネット弁慶

    (2/6 補足書きました→「放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって」の補足 - 糞ネット弁慶) 修士論文を提出し,発表を済ませた.また,これをもって大学院及び研究室に関する全ての行事が終了した(「教授が論文書けってうるさいから春休み潰れるわ〜まじないわ〜」などという学生とは違う).というわけなので三年間の研究室生活について振り返ってみる. 放置系ブラック研究室とは そもそも我が研究室は非常に放任主義の放置系ブラック研究室であった.いくつか例を挙げると 論文紹介や輪講などない M2になってから7回程度しかゼミをやった記憶が無い 研究テーマが上から降ってくることがない 教授が卒論・修論のテーマを提出の一ヶ月前まで把握していない 研究しない 論文(書かない|書けない) (研究会|全国大会|諸々)(出ない|出さない|出せない) そもそも何がいつあって締切りがいつとか知らない 学生が学会に何一

    放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞糞糞ネット弁慶
  • 大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Contax T2 @Sterling Hall of Medicine, Yale University この間の「人を育てるラボの特徴」というエントリについて、ブクマコメントで頂いたこと、 >大学院教育において、どうなったら「人が育った」と評価できるのか、その基準も合わせて教えていただけると嬉しいかも。「研究を進めるための実務的な能力」が身についたということでO.K.?(pollyannaさん) について少し考えてみたいと思う。 これって「大学院教育って(受け手側からすると)何のためにあるのか」という極めて重要な課題そのもの。深遠かどうかはこのエントリの後で考えて頂くとしても、大事なテーマであることは間違いない。 で、ここでは日の大学院と米国の大学院をちょっと分けて考えてみたい。前エントリにも少し書きましたが、私個人として、某旧帝大と某Ivy schoolの間で、ラボがどうというより

    大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
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