ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (5)

  • 中島梓「転移」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    朝日新聞出版 2009年11月 中島梓氏の死にいたるまで一年弱の闘病記。 読んでいて気が重くなってきた。闘病記であるからではない。変な民間療法に走ったりすることもなく、急に回心して受洗するなどということもなく、闘病記としては(とてもおかしな言いかただけれども)まともなものである。にもかかわらずなんとも言えない気持ちになってくるのは、その時々の経過の記載から医者として著者の予後がよめてしまうからである。しかも書いている中島氏自身はそれが予測できていないことも記載から読み取れる。それで読んでいてやりきれなくなる。 中島氏は膵臓癌で亡くなった。ひょっとすると、この記事に何かの検索からたどりつく膵癌の患者さんあるいは家族の方もいないではないかもしれない。そういう方に以下に書くことは希望をあたえる内容ではないかもしれない。患者さんに「希望をも処方する」のは医療者の仕事の一つである(中井久夫「臨床瑣談

    中島梓「転移」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    kodaif
    kodaif 2009/12/07
    "どことなく胡散臭いものに思うのは、死の受容などということが言われて、従容として静かに死んでいくことが望ましいという見方があるように思えて、そんなことは嘘ではないかと感じるからである。"
  • 吉本隆明 三好春樹「の現在進行形 介護の職人(PT)、吉本隆明に会いにいく」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    春秋社 2000年10月 最近、必要あってリハビリ関連のを少し読んでいる。このはだいぶ以前に読んだものであるが、それで思い出して、引っぱりだしてきて読みかえしてみた。三好氏は作業療法士(PT)であるが、リハビリの専門家というよりも老人介護問題の専門家として知られているのではないかと思う。その「介護覚え書 老人の事・排泄・入浴ケア」(医学書院 1992年)はとても面白いで、看護師さんに「ぜひ読んでごらん」と薦めるのだけれど、なかなか読んでくれない。たまに読んでくれてもあまりぴんとこないらしい。どうしてだろう。看護ということをこれほど考えさせてくれるもないと思うのだが・・。まあ、散々、看護の現場の悪口を書いているのだから仕方がないかもしれないけれど。 書は当時75歳の吉氏と老人問題の専門家?の三好氏が〈老い〉の問題について様々に語ったである。そこでのいくつかの話題をひろって感想

    吉本隆明 三好春樹「の現在進行形 介護の職人(PT)、吉本隆明に会いにいく」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    kodaif
    kodaif 2008/12/01
    "いずれにしても、われわれの世代から、「個人」で生きてきたつけを、これから払っていくことになるひとが多くでるのだろうと思う。" "働くことは誰かの必要に応えることで、誰かから必要とされていることである。"
  • 井上章一「日本に古代はあったのか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    角川選書 2008年7月 なんとも奇妙なである。はじめ冗談だと思って、面白がって読んでいたら、どうも気らしいということがわかって、少し引いてしまった。 井上氏がこのでいわんとすることは、京都は東京より優れている、狭義には京大は東大よりすぐれている、あるいは公家は文明で、武士は野蛮、要するに、西がすぐれていて東はだめ、それなのに明治以降、東京が首都になったということだけのために、東が根拠もなく大きな顔をしている、けしからんという話なのである。 もっといえば、京都の文明は中華文明と連動した世界史の中に位置づけられる立派なものだが、関東のそれはローカルな辺境のできごとにすぎない、ということでもある。 書を読んでわたくしがまぎれもない「関東史観」の持ち主であることがわかったが、それはわたくしが東京生まれの東京育ちであるからなのであろうか(江戸っ子ではないけれでも)。ちなみに井上氏は、京都生

    井上章一「日本に古代はあったのか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    kodaif
    kodaif 2008/11/30
    "なんとも奇妙な本である。はじめ冗談だと思って、面白がって読んでいたら、どうも本気らしいということがわかって、少し引いてしまった。"
  • F・ピアス「水の未来 世界の川が干上がるとき あるいは人類最大の環境問題」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    日経BP社 2008年7月 少し前に読んだピークオイル論もそうだったが養老孟司氏が紹介していた。オイルが枯渇するという話は、それがいつということは議論がわかれても、それが化石燃料であるからには当然のこととして理解できるのだが、書は水が枯渇するという話である。水の惑星である地球で、水がなくなるというのはいささかわかりにくい。 その根は農業が大量の水を必要とする産業であるということである。たとえば、米1キロをつくるのに、2000から5000リットルの水が、小麦1キロでは1000リットル、ジャガイモ1キロでは500リットルの水が必要なのだそうである。コーヒー1キロには2万リットルの水が必要。もちろん、綿花などの衣料の原料も大量の水を必要とする。飲料や入浴やトイレなどで必要とされる水は年間でおよそ一人あたり50トンから100トン。しかし、1年間のべ物や衣料には1500トンから2000トンの

    F・ピアス「水の未来 世界の川が干上がるとき あるいは人類最大の環境問題」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
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    kodaif 2008/11/25
  • E・H・ゴンブリッチ「美術の物語」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    PHAIDON 2007年1月 知り合いに勧められて読んだ。美術史、実際にはほとんど西洋美術史のである。 ゴンブリッチの名前を初めて知ったのはポパーの自伝「果てしなき探求」の中に、ハイエクとともに自分を救ってくれたひととしてでてきたことによってであると思う。それで、その「若い読者のための世界史」(中央公論美術出版 2004年)は、読んでいた。350ページほどの世界史の通史(実際には、やはりほどんど西欧史)であるが、ゴンブリッチがわずか25歳ごろに書いたもので、その年齢で、自分の視点をもって一冊のを書けるというのが驚きである。自分が25歳のころ何を知っていただろうと思うといやになってしまう。あるいはそこに書かれていることは、ゴンブリッチの固有の視点ではなく、西欧の一部の知識人には共有されている視点であるのかもしれなない。四書五経のような知識人にとっての最低限の知識であるのかもしれない。

    E・H・ゴンブリッチ「美術の物語」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    kodaif
    kodaif 2008/11/24
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