2024年3月25日のブックマーク (7件)

  • 三国志 呉が成立した地「長江中下游平原」について - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 前回は三国志 魏の曹操の陵墓について記事にまとめてみました。 ↓前回の記事 kohunzakki.hatenablog.com 前々回は蜀漢の成立した地「四川盆地」について記事にしているので、今回は三国志に登場する国のひとつ、孫呉が成立した長江中下游平原についてお話していこうと思います。 どうぞ、お楽しみください。 長江中下游平原とは 呉の水軍 孫呉の最後 まとめ 長江中下游平原とは 長江中下游平原とは、その名の通り長江の中流域と下流域に沿った形で広がっている平野であり、東北平原や華北平原に次いで3番目に広く、中国の三大平野の内の1つです。 中国 地理 大きさのイメージとしては、20万平方キロメートルなので、日列島の州(22万7942平方キロメートル)と大体同じくらいの広さを有しており、とてつもなく巨大な平野です。 王朝の都が置かれた地「関中」や、蜀漢が根拠地とした

    三国志 呉が成立した地「長江中下游平原」について - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    三国志 長江中下游平原
  • 曹操の陵墓について - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 前回は三国志に出てくる国のひとつ、蜀漢が成立した地「四川盆地」について記事にまとめてみました。 ↓前回の記事 kohunzakki.hatenablog.com じゃあ今回も魏か呉の地理をやるのかというと、そういうわけでもなく 今回は三国志に登場する英雄のひとり、曹操の陵墓から得られた情報について話していこうと思います。 どうぞ、お楽しみください。 曹操について 西高穴2号墓について 西高穴2号墓が曹操の陵墓である根拠 曹操の歯について まとめ 曹操について まずは曹操の人生について紹介していきます。 曹操(後漢末期 155年に生まれ、220年まで生きた人物) 曹操は、後漢末期155年に 豫州(よしゅう)沛国(はいこく)、現在の中国 安徽省(あんき)亳州市(はくしゅう)で生まれました。 安徽省(あんき)亳州市(はくしゅう) 175年20歳になった曹操は、郎官(ろうかん)

    曹操の陵墓について - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    三国志 曹操の陵墓
  • 三国志 蜀漢が成立した地「四川盆地」について - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 前回ちょろっと三国志の話をしましたが、その三国志の三国の中で異色の地に成立した国があります。 相変わらずなのですが、前々回に中国大陸の地形図を作っている時に、その特異性に気が付いたので、記事にしてみようかと思います。(。-`ω-) ↓前々回に作った地形図になります。 中国 地形 ↑ということで今回は、三国志に出てくる蜀漢が成立した四川盆地についてお話していこうと思います。 どうぞ、お楽しみください。 四川盆地の地理 蜀漢の最後 まとめ 四川盆地の地理 四川盆地とは、四川省の中央に位置している、周りを秦嶺山脈、横断山脈、雲貴高原などといった標高が高い山地や高原に囲まれた中国の四大盆地の1つです。 大きさのイメージとしては、北海道を丸々1つ入れても有り余るほどのものですので、とてつもなく巨大な盆地だということが分かります。 中国 四川省 kohunzakki.hatenab

    三国志 蜀漢が成立した地「四川盆地」について - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    要害の地「四川盆地」
  • 秦や漢が首都を置いた要害の地「関中」 - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 前回作った中国の地形図の中に、軍事的に強そうだなあと感じた地域がありました。 その地域は中国の陝西省(せんせい しょう)にあり、古来から歴代王朝の首都が置かれ栄えた場所のようです。 ↓前回作った地形図になります。 中国 地理 前回の記事↓ kohunzakki.hatenablog.com 関中の場所 ↑ということで今回は、上の写真の赤で〇をしてある「関中」という地域について話していこうと思います。 どうぞ、お楽しみください。 関中の地理 函谷関や武関 洛陽と長安 関中のその後 まとめ 関中の地理 関中とは中国の陝西省中部、黄河の支流である渭水(いすい)流域に広がる盆地一帯を指し、渭水平原ともいうみたいです。 中国 陝西省 タイトルにも要害とあるように、渭水盆地は北の黄土高原や南の秦嶺山脈といった天然の要害に囲まれており、東側の華北平原に出る入り口側は黄河という大運河が

    秦や漢が首都を置いた要害の地「関中」 - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    要害の地「関中」
  • 漢帝国の西域について - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 今回はずっと前から気になっていた漢代のある地域のことについて話していこうと思います。 その地域は中国西方のタリム盆地に存在し、古代から「西域」と呼ばれた場所になります。 前漢 領土 漢帝国の地図を見てみると、西方に伸びるようにして領土が広がっていることが分かります。 なぜこのような形なのか、どういった経緯でこの場所を支配したのか、調べてみましたので、どうぞお楽しみください。 西域の地理 前漢が西域に進出した背景 まとめ 西域の地理 西域に存在する国々の情報が初めて記録に現れるのは、『史記』大宛伝になりますが、中国歴史書における西域という語は『漢書』西域伝にて初めて登場しました。 『漢書』西域伝では、天山山脈と崑崙(クンルン)山脈に挟まれた、その大部分が砂漠であるタリム盆地が西域の範囲とされました。 タリム盆地 前漢の領土が西方に伸びたような形になっているのは、山脈の存

    漢帝国の西域について - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    漢帝国の西域諸国
  • 2000年以上前から腐敗を免れて保存されてきた漢代の湿屍遺体 - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。 今回は昔偶然知った遺跡のことについてお話していきたいと思います。 その遺跡の名は、「馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)」です。 名前からして、日の遺跡ではないことがすぐに分かった方もいるかもしれません。馬王堆漢墓は中国にある漢の時代の遺跡です。 ミイラの画像が出てくるので、苦手な方はすみません。 どうぞ、お楽しみください。 墳墓の場所と被葬者 辛追の遺体 遺体を解剖して判明したこと 辛追の遺体はなぜ腐敗しなかったのか まとめ 墳墓の場所と被葬者 馬王堆漢墓は、中国の湖南省 長沙市 にあり紀元前2世紀の頃に造られました。 東西に並んだ二つの墳丘で構成されており、初めに発掘された東側が1号墳であり、西側が2号墳となっています。 南側には1号墳の盛り土に覆われる形で3号墳があったようです。 被葬者は、前漢初期に長沙国の宰相をつとめた利蒼(り そう)とその子だそうです。 前漢 

    2000年以上前から腐敗を免れて保存されてきた漢代の湿屍遺体 - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    漢代の女性貴族の湿屍遺体
  • 涼をとるために古来から食べられてきた かき氷 - こふんの雑記

    皆さんこんにちは。最近熱くなってきましたね。 夏の季節がもうすぐやってくる時期になってきましたが、夏にべる物といえば、かき氷があります。 夏の風物詩 かき氷 夏になると友達と祭りに行き、かき氷をべていた懐かしい記憶が思い浮かぶのですが、ある日ふと かき氷 の歴史について考えたことがあります。 かき氷はいつから存在していたのでしょうか? 初めてのブログの一回目として、人々に愛されてきた かき氷の歴史について話していこうと思います。 かき氷と清少納言 氷とあまづら 削り氷はどのようにしてべられたのか まとめ かき氷と清少納言 かき氷に関する最も古い記録は、平安時代に清少納言により書かれた『枕草子』のあてなるもの(上品なもの)の段にあります。 平安時代(794年~1185年) 清少納言(960年頃に生まれ、1020年前後まで生きた人物) 枕草子(西暦1001年頃に成立) 清少納言 『枕草子

    涼をとるために古来から食べられてきた かき氷 - こふんの雑記
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    kohunkohun 2024/03/25
    平安時代のかき氷の記録
    • 2024年3月25日