東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。しかし、震災後すぐに若者たちが中心になり公民連携のまちづくりが急ピッチで進んだ。震災後、女川町に移住してまちづくりのキーパーソンとして活動するNPO法人アスヘノキボウ代表理事の小松洋介さんに話を聞いた。 20年後を担う若者たちを中心に公民連携のまちづくりを推進 2011年、女川町は、東日本大震災で住宅の7割が流失し、人口の8.3%に当たる827名が尊い命を失い、宮城県で最も大きな被害を受けた。けれども、震災から8日目、水道も電気も通らないなかで産業界を中心とする民間の有志がプレハブに集まり、まちづくりの準備会を開いた。その約1カ月後には、商工会、水産業関係者らを中心に、女川町復興連絡協議会を立ち上げた。 「女川町復興連絡協議会を立ち上げたときの会長が還暦で。『復興に約10年、まちづくりの成果が分かるのに、さらに10年かかる。だから、20