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ブックマーク / suumo.jp (13)

  • 実家じまい、団塊世代の親「モノが捨てられない」「お金がない」問題に驚愕。親の思考を劇的に変えた3つの方法 小説家・高殿円

    小説家の高殿円さんは、自他共に認める不動産好き。これまでに何度も物件購入・売却をしてきました。 そんな高殿さんが頭を抱えたのが「実家じまい」。団塊世代の両親が住むタワーマンションを無事に売り抜き、老後も安心。……かと思いきや、母の口から飛び出したのはまさかの「お金がないの」の一言。 両親の思考を劇的に変え、モノであふれる実家と向き合った記録を特別コラムとして寄稿いただきました。 親に買ったタワマンを+1000万で売り抜き、老後も安泰かと思ったら いよいよ始まったと思った。更年期と親の終活と子どもの受験。 一気に来る。噂には聞いていたけれど、ほんとうに一気に来た。さりとて、この何事も先回りする私が、やがて必ず来るであろうこの一大事に対して何の対策もしなかったわけではない。むしろ10年以上前からそのときに併せて打てる手は打っていた。 例えば、資金繰りの問題。いまほどフリーランスが市民権を得てい

    実家じまい、団塊世代の親「モノが捨てられない」「お金がない」問題に驚愕。親の思考を劇的に変えた3つの方法 小説家・高殿円
    koinobori
    koinobori 2024/07/04
    亡くなった叔父の家(元祖父母の家)を片付けた。市役所の「一般廃棄物処理許可業者」のサイトを見て、一社ずつググり、片付けを請け負う会社に依頼。3日間100万円。片付けには親近者には無理で、業者は正解だった
  • 読み方は「ていね」で合ってます。札幌市手稲区出身者による、このよき街のたのしみ方|文・つちやりさ - SUUMOタウン

    著: つちやりさ新千歳空港で飛行機を降りて電車に乗り、トンネルを抜けると、車窓から山が見えてきます。「帰ってきたな」と、心が落ち着く瞬間です。 わたしは、北海道札幌市、手稲と書いて「ていね」と読む山の麓にある街で、小学生から高校生までの間を過ごしました。その当時は、地元である手稲になんの思い入れもありませんでした。でも、大学入学と同時に上京し、その後ときどき帰省するようになってから、地元で受けていた恩恵にようやく気付き、少しずつ、愛着まで抱くようになっていきました。手稲は平凡な住宅街ですが、山や海も近く、札幌の中心街へのアクセスも良く、ほどよい立地にある街です。わたしは、手稲のたのしみ方を、帰省するたびに再発見していくことになりました。今日は、わたしの地元のたのしみ方を、いくつか紹介してみたいと思います。 海にも山にも。なにかとアクセスの良い手稲前田森林公園まず絶対に外せないのが、家から車

    読み方は「ていね」で合ってます。札幌市手稲区出身者による、このよき街のたのしみ方|文・つちやりさ - SUUMOタウン
    koinobori
    koinobori 2024/02/16
    手稲、テイネスキー場のイメージで、ていねとしか読めないので、逆になんか俺間違った?と不安になるタイトル
  • 家を出たのに部屋はそのままになってない? 実家じまい「自室整理」のすすめ - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    将来やってくる「実家じまい」。早めに何かしておきたいと思っていても、「どこから手を付ければよいか分からない」という人の方が多いのではないでしょうか。 2022年9月に公開した「『遺品整理のプロ』に聞く実家の片付けのポイント」では、「自分の物が実家に残っているのであれば、そこから着手するのがやりやすい」とアドバイスを紹介しています。 そこで今回は、実際に実家の「自室整理」をしたことがあるライターの青柳美帆子さんに、その経験を振り返ってもらいつつ、片付けをスムーズに進めるポイントについて寄稿していただきました。 自室整理は実家のスペースの有効活用につながるのはもちろん、親や実家の「これから」について考えるきっかけにもなるそう。皆さんも今度帰省したときにチャレンジしてみませんか。 ある日、実家が解散。自室整理に揺れ動いた心 実家を出たけど、まだ実家に”自分の部屋”が残っている皆さん。今、そのスペ

    家を出たのに部屋はそのままになってない? 実家じまい「自室整理」のすすめ - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
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    koinobori 2023/07/26
  • さよなら東京。ないものだらけの「岡山」で、おだやかな自分になれた|文・本郷結花 - SUUMOタウン

    著: 郷結花 東京行きの新幹線に揺られながらキーボードを叩いている。 4年間過ごした東京から、地元の岡山に移り住んでもうすぐ2ヶ月。月に一度、3時間かけて仕事のため東京へ向かう。 バスは1時間に1。次の電車が来るまで30分。 岡山での生活はなかなか不便だ。 でも今は、この暮らしがけっこう愛おしい。 田舎者の自分が、まさか東京だなんて 岡山県の北部、田舎町で生まれ育った私は大学卒業後、愛媛県の出版社に就職した。 小学生の頃から壁新聞を作るのが得意で、写真やタイトル、文章をレイアウトしてまとめることが好きだった。お絵描き用の自由帳には目次やノンブル(頁番号)を振っていたし、放課後はチラシの裏紙にアベイルやしまむらのモデルを切り貼りして、中綴じにしてお手製のファッション誌を作って遊ぶような子どもだった。 念願の出版社勤務。“中央誌”と呼ばれる全国流通の雑誌ではなく、愛媛県内だけで販売されてい

    さよなら東京。ないものだらけの「岡山」で、おだやかな自分になれた|文・本郷結花 - SUUMOタウン
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    koinobori 2023/06/20
    鉄道が使われるためにはバスがたくさんないといけないのだなあと改めて思った。
  • 「自分にとっての幸せと心地よさ」を教えてくれた街「成城学園前」|文・今井真実 - SUUMOタウン

    著: 今井真実 結婚と同時に成城に住み始め、早いものでもう16年経つ。 ここの街に決めた理由はなんてことない。独身の頃から、夫も私も小田急線沿線で暮らし、世田谷区の住人だったため、土地勘があるところを次の住まいにと希望していた。「世田谷区 小田急線 ◯平米以上 ◯円以下 駐車場付き 1階」と不動産情報サイトで検索し、見つかったのが成城の物件だったのだ。 ただし、引っ越してくる前には一抹の不安があった。成城といえば、高級住宅地だと知られている。私たちが馴染むことはできるのだろうか。思わずドラマの世界に登場する怖い住人を想像してしまう。 ……まあ、賃貸なんだし、水が合わなければ引っ越せばいい。それに内見の日に初めて成城という街を歩いたときに感じた空気は、のんびりとしてとっても気持ちが良かった。高い建物が景色を遮ることもなく、見上げると一面に晴れた青空。鳥のさえずりが空気を彩り、これからの新しい

    「自分にとっての幸せと心地よさ」を教えてくれた街「成城学園前」|文・今井真実 - SUUMOタウン
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    koinobori 2023/05/11
    OKストア出てこないなと思ったら、フードセンターが出てきた。成城9丁目あたりの人か。(元1丁目住人)八百幸も近いのだろう。成城はほどよい高級住宅地で、格安賃貸の住人としては、お金持ちとは何かを教えて貰った
  • 「何もない」といわれる松江に、私が何度も帰りたくなる理由|さくらいみか - SUUMOタウン

    著: さくらいみか 私は島根県の松江で生まれ育ち、18歳で上京した。 その後ずっと東京近郊に住んでいる……というわけではなく、20代の3年間、30代の3年間の二度にわたり、地元に戻って暮らした。 東京から松江という遠距離を、そんな気軽に引越しできるの? と驚かれることは多いが、意外と自分では大掛かりなことだとは思っていない。都会のほうがやりたい仕事もできるし、娯楽も多い。けれども、松江はやっぱり住み心地も良くて落ち着く。そのどちらも味わいたいという思いから、まあまあ気軽に行き来していた。 松江からは、出雲空港にも米子空港にも車で3、40分もあれば行ける。安い航空券さえ確保できれば結構ふらっと東京へ行ける感覚があって、行き来しているうちにどんどん距離を感じなくなった。 とはいえ「そんなに気軽に転居できるほどの『地元の暮らしの良さ』って何?」「島根って何があるんだっけ?」と聞かれることも多い。

    「何もない」といわれる松江に、私が何度も帰りたくなる理由|さくらいみか - SUUMOタウン
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    koinobori 2022/09/15
    隠岐の島が好きでその前後で泊まったりするけど、観光で行く松江の気高い街感はすごいと思う。
  • “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン

    著: shuo(束元理恵) 広島県と島根県の県境をまたいでいる雲月山からの眺望 「過疎」「限界集落」そう言われる地域に5年間住んでいた。山の猟師に、憧れていたからだ。 21歳のとき、同じ広島県内の熊野町から北広島町に移住した。北広島町は広い。平成の大合併の時にもともと四つに分かれていた町を集めて、一つの町になった。私はその中でも広島県と島根県の県境、1番の豪雪地帯の「旧芸北町」に住んでいた。 最寄りのコンビニエンスストアまでは、片道車で30分。近くにあるのはホームセンター、個人商店、農協のスーパーばかり。車がないと生活ができない、他人の言葉を借りるといわゆる「不便」な場所らしい。私の家は携帯がよく圏外になったが、どれをとっても不便だと思ったことがなかった。 そんな私が北広島町に越してきてすぐに不思議に思ったのは、今でも住んでいる人たちは合併前の旧町の呼び名で呼ぶことだ。私の周りの人たちは、

    “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン
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    koinobori 2022/09/14
    広島県の人は、別に芸北、千代田、豊平、大朝と言ってもわかるんじゃないか…、北広島と言わなくても。合併協議会の議事録に「北広島だと、北海道にもあるから名乗れないんじゃないか」「町なら問題ない」とあったな
  • 近鉄奈良駅と鹿とビブレと、バンギャルの私。(文・蟹めんま) - SUUMOタウン

    著: 蟹めんま 90年代、奈良盆地に住んでいた私のバンギャル活動 私はビジュアル系バンドが好きな「バンギャル」と呼ばれる部類の人間だ。バンギャルになったのは小学生のころで、全盛期は中高生時代。そのころ、私は奈良県奈良市に住んでいた。 「若いバンギャル」というと、全国のライブを飛び回っている姿を連想されることが多い。だが、私はV系アーティストをCDや映像、雑誌のみで嗜む、今で言う「在宅ファン」だった。当時の奈良にはライブやサイン会が来なかったからだ。 とはいえ奈良は大阪・京都に出やすいので、越県して現場に行く人は山ほどいた。だから「奈良だからしかたなく在宅だった」というのは言い訳かもしれないのだけど、中学生の私には往復1000円以上の交通費が重かったし、門限を破って親と衝突する度胸もなかった。都会への憧れを内に秘め、奈良盆地内での小規模なバンギャル活動にいそしんでいた。 近鉄奈良駅と鹿 当時

    近鉄奈良駅と鹿とビブレと、バンギャルの私。(文・蟹めんま) - SUUMOタウン
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    koinobori 2021/11/16
  • 渋谷の変化を100年見守る銭湯には、変わらない人々の生活が宿る【まちと銭湯・改良湯】 - SUUMOタウン

    昔から「銭湯」は、その土地の人々の暮らしを支え、コミュニティの中心にあるものでした。家庭のお風呂が当たり前になった現代では徐々にその数を減らしているものの、家族代々受け継がれてきた銭湯は、今も私たちの暮らしに彩りを添えてくれる存在です。 番台から見守ってきた街と人々の生活に迫る連載、【まちと銭湯】をお届けします。 東京の今が集まる街・渋谷。近年はヒカリエのオープンに始まり、東急東横線のホーム移設、渋谷ストリームや渋谷スクランブルスクエア、ミヤシタパークなど、続々と新たな商業スポットが誕生し、その変化の勢いはこれまで以上に加速しています。 しかし、その歴史を振り返ってみると、渋谷が今のようなにぎわいを見せ始めたのはここ30年から40年ほどのこと。70年代以降に若者向けの施設が誕生するまで、渋谷駅は郊外のターミナル駅のような存在に過ぎなかったそうです。 そんな当時の渋谷の空気感を、今もほんのり

    渋谷の変化を100年見守る銭湯には、変わらない人々の生活が宿る【まちと銭湯・改良湯】 - SUUMOタウン
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    koinobori 2020/12/22
  • 台地と谷間が複雑に絡み合うスリバチの町「麻布十番」の“表”と“裏”を歩く(寄稿:東京スリバチ学会) - SUUMOタウン

    著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 麻布十番。 こんなにも都会的で東京っぽい響きをもった地名がほかにあるだろうか。群馬で過ごした幼少のころから憧れた地名のひとつだ。ところで麻布十番の地名は何を意味するのだろうか? 「麻布」は、当時周辺に住んでいた農民が、麻の布をつくっていたのが由来だとか。古文書では、阿佐布・浅生・浅府・麻生・阿佐婦など、さまざまな表記があり、「麻布」で定着しはじめたのは明暦元年ごろらしい。 「十番」は、現在も麻布十番を流れる「古川」の改修工事が江戸時代にあり、「10番目の工夫(こうふ)を出した地域」だったからとか、「10番目の工区」だったからとか、諸説ある。しかしこの改修工事自体、5代将軍・徳川綱吉の別邸建設工事ともいわれ定かではない。 そして麻布で忘れてはならないのが、都内では浅草寺に次ぐ古刹「善福寺」だ。住職の姓は麻布、山号も麻布山。麻布十番の町は善福寺の門前町

    台地と谷間が複雑に絡み合うスリバチの町「麻布十番」の“表”と“裏”を歩く(寄稿:東京スリバチ学会) - SUUMOタウン
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    koinobori 2018/05/24
    この方、仙台の地元コミュニティ誌の街歩きイベントによく出てくるので、どうしてだろうと思ってたけど、そういうことだったのか。
  • 普通のOLが京都駅周辺に住み続ける理由 - SUUMOタウン

    著: にゃんこ 京都駅八条口 京都にある大学に通っていたけれど、京都自体に思い入れはなかった。 実家のある大阪は、特に仲良くしている友達もいないし、良い思い出もなく、京都より好きになれなかった。 これまでは親が育った大阪で私も育てられ、大学は家から通えるところしか行ってはいけなかったので、住む場所を選択する必要も理由もなかった。 しかし、大学を卒業すると同時に家庭の事情で家を出なければならなくなってしまい、どこに住むかなんて自分で考えたこともなかったので、当時付き合っていた彼氏が住んでいたからという理由で、勤務地が奈良県だったにもかかわらず、彼の家に近い「京都駅周辺」に住むことにした。 なるべく明るくて日当たりが良くて3点セパレートの部屋。京都駅周辺となると家賃が高そうでドキドキしていたけど、特にそういうわけでもなく。紹介してもらった物件を見に行って即決した覚えがある。 と、住み始めたころ

    普通のOLが京都駅周辺に住み続ける理由 - SUUMOタウン
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    koinobori 2018/01/18
    家賃安いだろうし、と思って開いたら、家賃の話があんま無く、まそんなもんか、と思ってブコメ開いたら地獄が広がっていた。寝た子を起こす議論は嘘なんやで。学び続けなければ。
  • 上京して10年。人生と向き合ってようやく「岡山」のことを好きになった - SUUMOタウン

    著: 友光 だんご 岡山にいたころは、毎日をずいぶんぼんやりと過ごしていた。人並みに悩みもした思春期も、晴れた空とだだっ広く続く田んぼを見ていたら大体の不安はどこかに去った。岡山県民の大らかさと、晴天率の高さは関係が深いはずだ。 僕は県南に位置する岡山市の西大寺で生まれ育った。 かつては門前町として栄えた土地で歴史を感じる街並みもあるものの、それは一部。実家のある西大寺の外れは、いわゆる地方のロードサイドをイメージしてもらえばいい。国道沿いにチェーン店が延々と並ぶ、よくある光景だ。 やCDは近所の宮脇書店やゲオで手に入る。30分ほどバスに乗り中心部に出ればシンフォニービルの丸善にクレドの紀伊國屋、オーパにはタワーレコード(※現在は閉店)もある。 友人たちと街へ出れば、カラオケならグレートパンプキン、ボウリングなら両備ボウル、ゲーセンならジョイポリス。3択から選べるくらいの遊び場はあった。

    上京して10年。人生と向き合ってようやく「岡山」のことを好きになった - SUUMOタウン
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    koinobori 2017/12/26
    お、おおらか?と戸惑う。筆者は幸せだろう。そういうイメージの持てない悲しい自分。おおらかとは正反対だけど、岡山はよい場所であると思う。
  • 下北沢と「魔法のバス」の向かう先(寄稿:柴 那典) - SUUMOタウン

    著: 柴 那典 下北沢の近くに住んでいたのは、やっぱり、便利だったからだ。 街を歩いていて、なんだか安心する、というのもある。いい歳をしたアラフォーのオッサンが平日の昼間からTシャツにジーンズでふらふらしていても、違和感がない。たとえ長髪だったり髪の色を染めていたりしても「え? あの人何……?」みたいな視線を浴びたりするようなことは基的にない。スーツにネクタイをビシっとしめてる方が逆に珍しい。そういう意味では、都心のオフィス街とも、世田谷区の高級住宅街とも、やっぱりちょっとムードが違う。 そして、下北沢に「若者の街」というイメージを持つ人も多いと思うけれど、同じように「若者の街」という印象が広まってる渋谷や原宿や吉祥寺と比べても、その空気感はちょっと違う。気張ってオシャレしてるような人がそんなにいなくて、生活に密着した普段着の感じがある。 独特のユルさがある。 ライブハウスや小劇場が点在

    下北沢と「魔法のバス」の向かう先(寄稿:柴 那典) - SUUMOタウン
    koinobori
    koinobori 2016/09/29
    PRであることが惜しいくらい良い記事。中国語の先生が居たので中国語の勉強に通う街だった。好きな街だけど、いまいち馴染めないまま東京を離れてしまった。住めばまた違っただろうか。
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