【ロンドン=近藤雄二】柔道が初めて正式競技に採用された1964年の東京五輪で、無差別の金メダルを獲得したオランダ人のアントン・ヘーシンク氏が27日、オランダ・ユトレヒトの病院で死去した。 76歳だった。 1メートル98の巨体で「オランダの巨人」と称されたヘーシンク氏は、オランダ代表として東京五輪の柔道無差別に出場。決勝で日本の神永昭夫と対戦し、けさ固めで一本勝ちを収め、優勝した。柔道の母国・日本にとって、地元開催だった五輪での最重量級で、外国人選手に金メダルを奪われたことは、当時大きな衝撃として受け止められた。 その後プロレスラーに転向し、73〜78年まで全日本プロレスで活躍。引退後は国際柔道連盟(IJF)理事、国際オリンピック委員会(IOC)委員などを歴任した。現在国際試合で着用されている、青色の「カラー柔道着」を提唱したことでも知られる。97年10月にIJFから初の名誉十段を授与され、