日本マンガ史上、最大の封印作品、手塚治虫/酒井七馬『新宝島』が復刻されることになりました。 ●手塚治虫の「新宝島」62年ぶり復刻へ(読売新聞) ●手塚治虫の「新宝島」オリジナル版、62年ぶり復刻へ(朝日新聞) ●手塚治虫さんの出世漫画復刻へ 「新宝島」62年ぶり(47NEWS) 長らく封印されていた原因のひとつは、もちろん生前の手塚自身が刊行を望んでいなかったから。もひとつは、酒井七馬が没したのち、その権利関係がはっきりしなかったからです。 しかし、日本戦後マンガの出発点といわれるこの作品がいつまでも読めないことは、日本、もっといえば世界にとっても不幸なことでした。 そこへ、中野晴行著『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(2007年筑摩書房)刊行のおかげで復刊に向けての道が整い、今回の手塚プロダクションの英断になったのでしょう。関係者みなさんの努力のたまものだと思います。 これでイレギュラーなブツ
「大問題」創元ライブラリは、01年からシリーズででておりまして、これが 7冊目となります。宣伝文句には「一体日本はどうしたんだ! 色々あった’06年を 軽妙な漫画と洒脱なコラムで読み解く、いしい版『現代用語事典』 」とあります。 いしいひさいちさんという漫画家は、まったく素顔がしられていなくて、ほとんど 幻のような存在でありますが、旺盛な制作活動をしているのですから、存在をうたがう ことにはなりません。 この「大問題」は関西大学漫画研究会以来の盟友となる「峯正澄」さんが、時代への コメント文章を寄せているのでした。峯さんは、小生の友人の高校時代の友人という 関係でありまして、大学は違うものの、奇妙な同人誌などをやって、小生もその冊子を いただいたことがありました。 大学を卒業すると同時に、関西大学漫画研究会の面々は「チャンネルゼロ」という プロダクションをつくり、いまはなき「プレイガイドジ
ピエール・エテックス(Pierre Étaix、-エテとも、1928年11月23日 - 2016年10月14日[1])は、フランスの俳優、映画監督、イラストレーター。 ギャグマン、イラストレーター、俳優、道化師と、多彩な才能を発揮。第18回カンヌ国際映画祭(1965年)に出品され、当時ゴダールが絶賛した監督・主演作『ヨーヨー』が、第60回カンヌ国際映画祭(2007年)カンヌ・クラシックスで修復版として公開された。 来歴・人物[編集] 1928年11月23日、ロワール県ロアンヌで生まれる。 5歳のとき観に行ったサーカスで道化師に魅せられ、成長してミュージック・ホールやキャバレーで道化師として働く。 ジャック・タチのスタッフとなり、タチ映画の一連の非常に洗練されたポスターを担当した。また『ぼくの伯父さん』(1958年)では助監督に起用され、出演もした。エテックスは、アメリカ式バーレスクに近いタ
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