![Amazon.co.jp: 呑めば、都―居酒屋の東京: マイクモラスキー (著), Molasky,Michael (原名): 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/643be72984a504876269336761e2693990bc0993/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F513FE751PRL._SL500_.jpg)
今から呉智英の吉本隆明批判本がいかにヒドイかということを検証していくのだけど、呉智英をエライと思っている(いた?)人間としては、呉がアホだと証明していけばいくほど、こちらもアホだということになり、非常に気分が暗くなる作業なのである。 この本の一番不愉快な部分は呉の都合のよい吉本像に、さりげなくミスリードするやり方。 例えば「かつて吉本は戦後思想家ベスト3の一人だと語り、自著読書ガイドで吉本の「共同幻想論」を重要とした呉智英は、吉本の死後すぐ彼についての本を出した」と書いて、事実誤認はない。しかしここには呉智英が吉本信者であるかのような印象を与えようとする悪意が後ろにある、そう、正確には「客観主義的な言い方をしますと」というフレーズが「ベスト3に入る」という見解の前についている等々。こういうやり方はあまりフェアなものだとは思えない。ところが呉はそのようなちまちまとした印象操作をうすーくちりば
メモ。 志の高い人を雇いたがるのは、志の高い企業のするべきことなのだろうか。志の高い企業は、ふつうの志の人を雇い、高い志を持たせるような企業ではないだろうか。あるいは、ふつうの志の人を雇い、ふつうの志のまま、よい仕事をさせるような企業ではないだろうか。 優れた人を雇いたがるのはよいことなのだろうか。それは極論すれば、優れていないひとはどうでもいい、ということなのではないか? そのような企業で働きたいと思うだろうか? そのような企業で働きたいと思う人ばかりの社会で生きていたいと思えるだろうか? ふつうの人が9時から6時まで(または10時から7時まで)、ふつうにプログラムを書いていればふつうに生活ができる、という世界の実現は困難なのだろうか。 今のソフトウェアエンジニアリングはふつうの人に辛すぎる。ここで言う「ふつうのひと」とは、たとえば「基本的に自分で本を買わない」「就業時間以外はプログラム
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