2017年6月13日のブックマーク (2件)

  • 「自己責任でしょ」という言葉は、能力不足のマネジャーの言い訳に過ぎない

    かつて私は職場で、「無能は自己責任」という発言をよく聞いた。 例えば、下のような発言もオブラートに包まれてはいるが、「無能は自己責任」と同じ意味である。 「成長は人の努力次第」 「結局はやる気でしょ」 「才能ないやつはなにやってもダメ」 上の発言は、率直に言えばほぼ正しい。(と思う時も多い) 正しいが、だからこそ「自己責任でしょ」という言葉を安易に使ってはいけない。 なぜか。 それの理由は仲の良かった、ある経営者とのやり取りにある。 仕事の合間に、共に昼べに行った時、彼は何気なく言った。 「どうも、うちのマネジャーたちが、部下の育成を軽んじているようにみえるんだよね。」 「そうですか?たしかにドライな人が多い気はしますが……なぜそう思われたのですか?」 「最近、すぐに「自己責任」と発言する社員が目立つから……かな。」 「自己責任……?」 「そう。「自己責任」という言葉はね、安易につ

    「自己責任でしょ」という言葉は、能力不足のマネジャーの言い訳に過ぎない
    kokubu8810
    kokubu8810 2017/06/13
    自己責任の部分が大きいとしても、限られたメンバーでやっていくしかない以上は育成していく必要が生じる。
  • 太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について

    「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬ方が、細く長く生きるよりも全然いい」 こういう事をいう若い人は結構多い。僕も若い頃はこんな感じの事をよく言っていた。 ところが働き始めた後、ある程度年配の方と接するようになってみて、この世に未練がある人が驚くほど多いという事がわかり非常に驚いた。 この人達に詳しく話を聞いてみると、この人達も若い頃は太く短く生きるのが理想だったけど、実際に自分が40~60になってみると昔は忌み嫌っていた細く長くの生き方に執着するようになってきたというのだ。 この思考の変換点が一体どこに起因するのかをずっと考えていたのだけど、最近になってやっと納得いく回答が頭の中でえられた。 人は、残りの人生が下り階段のみで構成されると凄く命に執着するようになる生き物なのだ。 今回はその話をしようかと思う。 若者が楽観的なの

    太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について
    kokubu8810
    kokubu8810 2017/06/13
    自分の意見は少し違っていて、長く居続けられる居場所を見つけた人から、細く長い生き方にシフトしていくのだと考えている。太く短い生き方は周囲に強いインパクトを残すかもしれないけど、安定感とは対極にある。