タカラジェンヌにあこがれていた牧田英子さんの遺影の前で、宝塚音楽学校から届いた入学願書を手にするよし江さん(右)と光蔵さん=高松市牟礼町で2010年9月14日、出水奈美撮影 少女時代、タカラジェンヌを夢見て、先月95歳で亡くなった高松市の牧田英子さんに、宝塚音楽学校の入学願書が届いた。英子さんが危篤状態になった際、家族が「夢だった宝塚受験をかなえてあげたい」と同校に電話したことがきっかけだった。他界の3日後、同校から英子さんあての願書が送られてきた。「生まれ変わったら宝塚のスターになってね」。家族は遺影の前に願書を大切に飾っている。【出水奈美】 英子さんは大阪市で育ち、祖母や兄と宝塚観劇に出かけるのが大好きだった。「宝塚を受験する」と決心したが、しつけの厳しい祖母に「観劇するのと孫が受験するのは違う」と猛反対され泣く泣くあきらめたという。やがて戦時色が濃くなり、空襲に遭い福井へ疎開。その後