今日は天気がよかったのでベランダでビールを飲みながら清水寺や祇園を描いておりました。夏はビールと蕎麦と水彩画と昼寝だね。やっぱ。 「第十二弾京都清水寺」 「第十三弾京都清水寺」 「第十四弾京都祇園」 最近はお見合い話が続いていて、ここがイラストサイトだということが忘れられている…というわけで今日は過去のブツをどーんとまとめて貼っておきます。 ↓ ↓ ↓ それではフミコ・ヨシフミ・フミオ画伯の次回作にご期待ください!
今日は天気がよかったのでベランダでビールを飲みながら清水寺や祇園を描いておりました。夏はビールと蕎麦と水彩画と昼寝だね。やっぱ。 「第十二弾京都清水寺」 「第十三弾京都清水寺」 「第十四弾京都祇園」 最近はお見合い話が続いていて、ここがイラストサイトだということが忘れられている…というわけで今日は過去のブツをどーんとまとめて貼っておきます。 ↓ ↓ ↓ それではフミコ・ヨシフミ・フミオ画伯の次回作にご期待ください!
ウォシュレット。ああそんな、そんなところまで、などと呟きながらひんやりした便座に座り、小さな悦びにうち震えてはらはらと涙を流していた。口ずさむは即興戯曲《ウンコとウォシュレット》。「ああウォシュレット、あなたはどうしてウォシュレットなの」。お見合い以来、僕は追い詰められて生活が破綻寸前。用を足せばこのようにわけもなく涙をはらはらと流す有り様。というのも先日お見合いをした娘からの大河ドラマ「天地人」感想メールに加え、その母親からも連日、「オホホいつ我が家に遊びにきてくれるの?」やら、「家族一同楽しみに来訪をお待ちしておりますオホホ」というふざけたメールが執拗に送られてくるからだ。 オホホ。なにがオホホ。浮かれてる。みっともない。僕が間抜け面に北京ダック片手で赴くような安い男とでも思っているのだろうかオホホ。腹立たしい。本来なら若い女性とお話が出来るのはオホホな心境になるのだが。普通の女性なら
友人の部屋でこれを書いている。今は日曜の朝だ。僕はこの、初めて訪れた新百合ヶ丘の部屋で、僕の二十世紀末を再生した。違う。自分にしかわからないクロニクルを語るときは正確に記述するんだ。スポーツマンが、ソテーから慎重な手つきで脂肪を切り離すように、曖昧さは排除しなければならない。言葉よ、贅肉を削ぎ落として正しいフォームを獲得しろ。雑食主義を否定しろ。必要なのは正確さ、そしてピュアネス。違うかい?僕は訊ねる。闇は答えない。友人も答えない。僕も、答えを求めていない。僕はこの部屋を知っている。友人の部屋は僕の部屋と同じにおいがした。前世紀の終わり、僕は、この部屋にいた。 2000年の初夏、多くのロックスターが黄泉へダイブした年齢に並んだ僕は、突発性の熱病に冒されたように誰にも相談することなく会社を辞めた。金曜の夜。中華料理屋のカウンター席。飛び交うチャイニーズ怒号。乱雑に扱われがちゃがちゃと悲鳴をあ
世界的な不況は、神奈川の端に本社を置く、普段は世界からまったく相手にされていない僕の会社も見逃してはくれなかった。直撃。バカボンのオープニング、月が地球にストライクするあのイメージで、社を賭けた部長渾身の一大事業「フィリピンにフィリピンパブ出店」は潰れた。 今年最初の月次定例営業会議は、延期につぐ延期で難産だった。部長の、「わりい。俺は先のことを考えて2010年版の手帳を使っている。先取りしすぎて日付間違えたわ」「私用」「俺は鳥インフルエンザかもしれない」といういたしかたない理由によって月曜日へと延期になった。おそらく、部長は、カレンダーも時計も読めない。部長に公私の区別はつけられない。部長は風邪のたびに鳥インフルエンザだと騒ぐ。諦めの境地に立っている僕は、なにも感じない。白けた空気の流れる会議は、フィリピンパブ出店計画中止の詳細な報告が無念そうな表情をした部長から語られてしまうと、「セ・
正月休みに段ボール箱に入れて押入れに放り込んだままになっていた古い写真を整理した。すっかり色褪せ、セピア調になってしまったもの、縁の白い部分がビーチで僕に熱い視線を飛ばしてきたギャルの焼けた肌を想わせる小麦色に染まりはじめているもの、すべて、僕の家族の記録。一枚一枚取り出し、年代ごとにアルバムにいれていくうちにあることに気付いた。僕と弟、そして両親、四人で撮ったスナップが見当たらないのだ。 最後の一枚をアルバムに滑り込ませたあと、ちょうど洗濯物を干しに母がやってきたので僕は訊ねてみた。「四人で撮った写真が一枚もないんだけど?」ベランダで洗濯物を干しながら母は「お父さんは撮るほうが好きだったからね。写真のなかで皆笑ってるでしょ。お父さんの姿は写ってないけど、写真のなかにいるのと一緒なんだよ。一緒に笑っているの」と言って誰も見たがらないベージュのおばちゃんパンツを一番人目につきやすいところに引
赤信号、背景は曇り空。フロントガラスを額縁にして四角形に切り取られた赤と薄灰色のコンビネーションは信号の意味を見落とすことが出来ないほど完璧。僕は停止線の手前1メートルきっちりに車を停め、ズリャっとサイドブレーキをひいた。すると道路の左脇の電柱の影から男が一人てててと駆け足で飛び出てきて誰もいない助手席側の窓ガラスをコツコツと叩いた。あん?相手の服装。量産型スマイル。ポリスマン。僕は苛立っていた。国家権力くらいが喧嘩相手にちょうどいいくらいに苛立っていた。 先月僕の会社に導入されたばかりの業務車、通称「ラブワゴン」は今どきマニュアルシフト。中古で外見もくたびれていて、西部警察のクラッシュ要員に似た哀愁が漂っている。マニュアルシフトは一歩譲って許せるとしても窓の開閉まで手動のレバーというのはどうにも解せない。以前、居酒屋で部長は手動窓の車を採用した意味について力説していた。 「会社の電力がど
待ち合わせは午前九時。東京の足といえば地下鉄だ。ホームに滑りこんでくる満員の地下鉄にため息が出そうになるが、気を取り直して人のかたまりに背中をねじ込み乗り込む。一息つくと体の前面にひんやりとしたドアの金属的な冷たさを感じた。湿気で曇った窓をこすって外をみた。時折、パイプのようなものの影が左から右へと飛び去っていくのが見えた。その影は、あの冬の日に振り返ることなく去っていった恋人を想わせた。カタンコトン。街の下を地下鉄は走った。 どれくらいの時間が経ってからだろうか。背中に異変を感じたのは。主は来ませり。僕の背中に押し付けられていらっしゃる聖なる存在。主は来ませり。この世に生を受けて以来追い求めてきたもの。スプリングコートを羽織っていても間違えることなどあろうはずもない、全てを柔らかく包みこむ大いなる存在、オッパイ。 脳内戦闘ナビゲーターが絶望的な戦況を告げた。「戦闘力(バスト)95!戦闘レ
買い物帰り、公園に立ち寄った。大人が遊ぶにはサイズの小さいジャングルジムとすべり台と鉄棒。住宅地の端にあるありふれた公園だ。ベンチに腰をかけミネラルウォーターを飲みながら、すべり台が風に揺られてキイキイと奏でる様子を眺めているうちに、僕は眠っていた。 肌寒さで目を覚ますと、僕の向かいにあるベンチに腰をかけている男女の姿が目に入った。いつからいたのだろうか。17、8才の高校生。揃いのブレザー姿。女の子の茶髪が男の子の右肩に寄りかかっていた。男の子の腕は女の子の右肩に回されていた。彼女は眠っているようににも、眠ったふりをしているようにも見えた。僕は見てはいけない事実に気づいてしまった。女の子の肩を経由した男の子の手のひらが胸に軽く触れていた。男の子が目線を上げ僕と目が合った。余裕と憐れみがその瞳に伺えた。 やれやれ。こういう光景を目の当たりにすると、溜息をついてしまいそうになる。とんとんと優し
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