現代社会において、公共性と利便性・合理性が対立する局面は少なくない。公共性を規定するのは困難で手間がかかるのに対して、利便性と合理性を定義するのは遥かに容易だ。とりわけ価値観や歴史を巡る問題にほとんどといってよいほど関心を持ってこなかった/もっていない社会において、公共性なるものは合意可能な定義すら難しい。実務的にいえば、そのような社会で公共性を考慮するとは端的にコストである。得られる実利が見えにくいどころか、合意も得られ辛く、公共性を検討する「合理的理由」さえ求められがちだ。 それに対して利便性と合理性は、いったん定義してしまえば、それらの観点に基づく変数を設定し、説得的な論理を多くのクライアントが納得する/せざるをえないかたちで提示することはさほど難しいことではない。こうした論理は現代の行政、そしてそのような行政を展開する首長を、そして彼ら彼女らを後押しする「民意」ととても高い親和性を