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ブックマーク / kamosawa.hatenablog.com (2)

  • 非科学政治の限界 - はてなの鴨澤

    各国のコロナ対策、特にイギリスやドイツから出てくるメッセージを読んでいると、政治の形と、それを担う政治家のバックグランドに意識がゆく。日政治家が見劣りする、というだけの話ではない。過去の日政治家とは何が違ったかと考える。 宮澤さんあたりまでの自民党と今の執行部メンバーの一番大きな違いは、「これを絶対に大事にする」という、人の心に刻み込まれた価値観の有無だろう。 刻み込まれた価値観とは、行動を掣肘する定規のようなものだ。戦場をくぐった中曽根康弘、同じく予備学生だった安倍晋太郎、戦前の大蔵官僚だった大平正芳、宮澤喜一、極貧から土木を軸に身を起こした田中角栄。彼らには自分の価値観が刻み込まれていた。 確たる価値観を持つ相手には、哲学のぶつかり合いという形での異議申し立てや、すり合わせの意味での議論が成り立つ。 ところが、もともと大事にしてるものがない相手には議論ができない。依って立つと

    非科学政治の限界 - はてなの鴨澤
  • DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤

    親子間での扶養や援助の問題がいろいろ話題に登るようになった。伝統的な日の価値観ではどうこう、と言われているが、基的に「忠孝」というやつは弱者を保護せず、自由を増やさず、不幸を防止しない。 親子の絆は美しいが、親子をあまり強く関連付けないほうがいい。これは社会システム的にもそうだし、個人の意識としてもそうだ。個人を単位に考えたほうがずっと良い。 不幸の多くは人間関係、特に親子を引き離せないからこそ起きる。一番大きいと思うのが教育の問題だ。 99年に交通事故で3ヶ月近く入院したことがある。整形外科病棟というのは交通事故とヘルニアと老人が三大勢力で、交通事故はバイクが大部分。このため他の病棟に比べ平均年齢が低く、雰囲気も明るめだ。オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく

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