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2019年12月24日のブックマーク (6件)

  • ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー | 渋谷系を掘り下げる Vol.3

    渋谷系を掘り下げる Vol.3 [バックナンバー] ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー 「『物になんかなるものか!』という姿勢がカッコいい」 2019年11月27日 20:00 1071 43 × 1071 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 192 758 121 シェア 1990年代に日音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく連載。第3回はドレスコーズ・志磨遼平へのインタビューを掲載する。10代の頃より音楽や文学、映画といったポップカルチャーの世界にどっぷりと浸ってきた志磨は、そこで培われた感性を基に毛皮のマリーズ~ドレスコーズでの活動を通じて、受け手の想像を鮮やかに裏切るコンセプチュアルな作品を次々と発表してきた。今回のインタビューでは志磨と親交の深いDJ / ライター

    ドレスコーズ・志磨遼平が語る憧憬とシンパシー | 渋谷系を掘り下げる Vol.3
  • 多くの才能を輩出したネオGSシーン | 渋谷系を掘り下げる Vol.2

    渋谷系を掘り下げる Vol.2 [バックナンバー] 多くの才能を輩出したネオGSシーン 小西康陽、田島貴男らが集った80年代後半のインディームーブメントを検証 2019年11月20日 20:00 1754 66 × 1754 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 257 592 905 シェア 1990年代に日音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく連載。第2回は、小西康陽、田島貴男(ORIGINAL LOVE)、ヒックスヴィル、GREAT3のメンバーなど、のちの渋谷系ムーブメントを支えるアーティストが80年代中盤から後半にかけて出入りしていた“ネオGSシーン”にフォーカスを当てる。東京・三多摩地区のガレージ~サイケ愛好家の若者たちにより形成されたローカルシーンから、何ゆえ多くの才能が輩出

    多くの才能を輩出したネオGSシーン | 渋谷系を掘り下げる Vol.2
  • センター街の一角から始まった黄金時代 | 渋谷系を掘り下げる Vol.1

    渋谷系を掘り下げる Vol.1 [バックナンバー] センター街の一角から始まった黄金時代 “渋谷系の仕掛け人”、元HMV渋谷・太田浩氏インタビュー 2019年11月14日 20:00 3800 137 × 3800 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 351 845 2604 シェア フリッパーズ・ギターの1stアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」が1989年にリリースされてから今年で30年を迎えた。11月には1991~2001年までの楽曲を小西康陽がセレクトしたピチカート・ファイヴの7inchアナログ16枚組ボックスがリリースされ、また小沢健二が13年ぶりのアルバム「So kakkoii 宇宙」を発表するなど、折からの90年代ブームとも相まって、 “渋谷系”周辺のカルチャー

    センター街の一角から始まった黄金時代 | 渋谷系を掘り下げる Vol.1
  • 今、音楽シーンの先端では何が起こっている? 有泉智子×柴那典 | CINRA

    2010年代後半の今、日音楽シーンのエッジはどういうところにあるのか。そういうことをテーマに、音楽雑誌『MUSICA』編集長の有泉智子と語り合った。1つのキーとなるのは、yahyelやD.A.N.やDATSなど、ここ数年で頭角を現しつつある先鋭的なスタンスを持ったバンドたち。彼らは、海外のビートミュージックと同時代的な音楽性を追求しつつ、単なるトレンドの追随ではなく、確固たる意志とビジョンを持って音楽を表現している。 以下の記事中でも語っているが、今の時代の世界的な潮流として、突出した才能同士が「個」として点と点で結びつき、有機的にコラボレーションしていくことで生まれるクリエイティブが音楽シーンを牽引している現状がある。では、そういう時代に、「バンド」という方法論や「ロック」というマインドは、どんな有効性を持ち得るのか。話はそんなところに広がっていった。 洋楽という言葉の裏には憧れとコ

    今、音楽シーンの先端では何が起こっている? 有泉智子×柴那典 | CINRA
  • カジヒデキが語る“僕が渋谷のレコ屋店員だった頃” | 渋谷系を掘り下げる Vol.4

    渋谷系を掘り下げる Vol.4 [バックナンバー] カジヒデキが語る“僕が渋谷のレコ屋店員だった頃” 「レコードショップを中心とした口コミからブームが生まれた」 2019年12月13日 19:00 1088 56 × 1088 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 229 570 289 シェア 1990年代に日音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げていく連載。第4回はカジヒデキへのインタビューを掲載する。第1回に登場したHMV渋谷と並び、渋谷系周辺のカルチャーを語るうえで欠かせない重要なスポットがフリッパーズ・ギターのメンバーをはじめ、さまざまなアーティストが御用達にしていた渋谷の輸入レコード店ZESTだ。カジは1990年代初頭からネオアコバンドbridgeのベーシストとして音楽活動をする一

    カジヒデキが語る“僕が渋谷のレコ屋店員だった頃” | 渋谷系を掘り下げる Vol.4
  • フジファブリック志村正彦が奥田民生を泣かせた日について - オトニッチ

    行きたくないライブは初めてだった 2009年12月28日。自分は幕張メッセにいた。 毎年年末は幕張メッセで開催される、カウントダウンジャパンという音楽フェスに参加していた。4日間開催されるイベントで、暇な学生だった自分は4日間毎日参加していた。毎年楽しみにしているイベントなのだが、この年はあまり乗り気ではなかった。 2009年12月24日にフジファブリックの志村正彦が急逝したからだ。 自分にとってフジファブリックはとても大切なバンド。首都圏で行われるライブはほぼ毎回行っているほどに大好きなバンドだった。 志村がいなくなってから、心にぽっかり穴が空いたような感覚で、何もする気が起きなかった。 関連記事:フジファブリックの志村正彦を最後に観たライブについて - オトニッチ- フェスのチケットは買っていたものの、この日も幕張メッセに行かず家で寝てようかとも思っていた。好きなアーティストがたくさん

    フジファブリック志村正彦が奥田民生を泣かせた日について - オトニッチ