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ブックマーク / tukinoha.hatenablog.com (5)

  • 徳川綱吉の再評価について - tukinoha’s blog

    世の中のほとんどの人間は、馬鹿でもない代わりにさほど賢くもなく、独創的なこともしない代わりに独りよがりなこともしない、ということは我々が日々実感するところですが、こと歴史に関しては「名君/暗君」「文明/野蛮」「進歩/退嬰」の二分論で切り分けたくなるのもまた然り。専門の歴史学者もこうした二分論から完全に自由にはなっていないのですが、しかし、これはちょっと如何なものかと。 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である (中略) 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。 〈生類憐みの令をだして犬や鳥

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  • tukinohaの絶対ブログ領域 - 『らき☆すた』最終回に寄せて―面白くなければ面白がれば良いのだ!

    『らき☆すた』は「面白がること」が出来る作品でした。ニコニコ動画の話ではなく。 今期の他の作品と比べてみると、『瀬戸の花嫁』のように大笑い出来る作品ではなく、『School Days』のように感情を刺激される作品でもなく、『電脳コイル』のストーリィ展開の巧みさや『桃華月憚』の斬新さもありません。 2,3年後にはみんな忘れているかもしれない。でも、僕はこの作品に対して非常な愛着を感じますね……。それくらい僕は『らき☆すた』を「真剣に見て」「面白がる」ことが出来ました。 僕が画面構成について真面目に考えたのは、たぶん『らき☆すた』が初めてです。 この作品で一番多く見られた構図はおそらく、こなた・かがみ・つかさ・みゆきの4人でテーブルを囲み談笑している姿でしょう。こういうときは、右に2人、左に2人配置して、カメラを中央において4人全員の顔が映るようにするのが一般的です。ところが『らき☆すた』では

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    kommunity
    kommunity 2007/09/19
    発想の転換。批判だけして管巻いてる偉そうな人達はこういう考え絶対無理だろうな
  • ufotableは本当に『深夜アニメ式に正しくない』のか - tukinoha’s blog

    今更ながらこんな話題に乗ってみようと思います。 ufotableは基的に深夜アニメ式正しさを「是」としていないスタジオであるように思います。 (中略) 「カリ城パロディ」や「美少女ガンアクション」を持ち込んで深夜アニメ式正しさの信奉者であるように振舞ってみせても、根となる部分は深夜アニメ式正しさに寄りかかるまいと一生懸命がんばってしまう。 そんな書生的な生真面目さがufotableのアイデンティティではないか――? そのように仮定すると、『フタコイオルタナティブ』が全編を通して行った試みとは、原作の事前了解をどうにかして正当化しようとする努力ではなかったかと思えてきます。 つまり「フタマタ」という非人道的行為をなんとか「フタコイ」という真っ当なものにしようという試みですね(笑)。 http://d.hatena.ne.jp/t-j/20070422 記事全体を貫く「評論が同じ土壌で行わ

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  • 『らき☆すた』は日常を描いたのか? - tukinoha’s blog

    「こんなにスポーツ出来るのに、何で運動部とかに入らないの?」 「だって部活に入るとさぁ……ゴールデンタイムのアニメが見れないじゃん」 『あずまんが大王』が「ありそうでありえない日常」を描いたとすれば、この『らき☆すた』は「当にありそうな日常」を描いている、と感じさせる点で異質な作品であると言えるのかもしれません。「チョココロネは頭と尻尾のどっちからべる?」なんて「たい焼きは頭と尻尾のどっちからべる?」と同じレベルの、ごく日常的な会話ではありませんか。 このような固有性のない繰り返される日常を「物語」として成立させているのは形式であると言えます。そもそも京アニの作画が賞賛される原因として、単純に作画が優れていることと共に、形式を知覚させること、「ここは作画に注目だ」と視聴者に教えるような作品構造をとっていることが挙げられるでしょう。『らき☆すた』においてはOPとだけではなく編において

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  • 『まなびストレート』―「まなび」は何を語り、僕たちはなぜ「まなび」を語るのか― - tukinoha’s blog

    今回は『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』を通して、作品に用いられる「言葉」、作品を語る「言葉」について考えてみたいと思います。 「言葉」には様々なジャンルがあります。親しい友人と話すとき、会社の上司と話すとき、それぞれの状況で僕たちの「言葉」は語彙もイントネーションも一変することでしょう。 そのため、僕たちは様々なジャンルの言葉を「違うもの」として認識します。「モノローグ(独白)」と「対話」、「丁寧な言葉」と「フランクな言葉」は全く違うものである、という風に。この認識は、ある意味では正しいでしょう。しかし、その一方で僕たちを縛る制約ともなります。「敬語は偉い人に向けて使うものである」「フランクな言葉は友人に向けるものである」と。 今回取り上げる『まなびストレート』においても、それは例外ではありません。主人公の天宮学美を例にとっても、全校生徒の前で話すとき、親しい友人たちと話すときで

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