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ブックマーク / 23secblog.blogspot.com (7)

  • three albums of the year (2017版)

    道具を使い込んで、手を動かしているうちに、何かができあがってくる、わかってくる、ということがあります。手を動かして、道具を使い込むようにありたいものです。 道具を使うことについて、よく考えた一年でした。 特殊な道具ではありません。テキストエディタや、PCのキーボードなどです。 例えば、プログラマにとっては、タッチタイプができることが必ずしもベストなわけではないと、気づきました。コマンドを、いかに間違えずに素早く打ち込むか、ということです。 いわゆる、ホームポジション、タッチタイプといった、文章を書くときの常識と、プログラマの常識は、一致しなくてよいのかもしれません。自分なりに、道具を使い込むことです。PCのキーボードをタイプするだけでも、気づくことがあるものです。 不思議なもので、毎年、いくつかは新しく気づくことがあります。学ぶことがあります。文章を書くことがなければ、思いいたりませんでし

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    komz 2018/01/01
    three albums of the year (2017版)
  • 2017年の<びっくら本> #mybooks2017

    いつだって、驚きというのは、世界の側にあります。 を読むこととは、行為としては、文字を目で追うことです。を読んでいるなかで、驚きを発見することがあるのは、不思議なことです。 こちらの記事を読みました。 【企画】2017年の<びっくら>を募集します #mybooks2017 – R-style を紹介するというのは、よいものです。 私も、10冊のをご紹介します。 * 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(ダグラス・R. ホフスタッター 著, 野崎 昭弘, 柳瀬 尚紀, はやし はじめ 訳) 私たちが、階層と再帰に魅了されるのは、なぜなのでしょうか。意味づけと物語に魅了されるのなら、同意できないこともありません。不思議なものです。 階層と再帰に自覚的な人とは、仲良くなれるような気がします。 * 『サピエンス全史(上)』『サピエンス全史(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ 著, 柴田 裕之 訳

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    komz 2017/12/25
    2017年の<びっくら本> #mybooks2017
  • 記憶の海岸、無人島

    風立ちぬ、今は秋です。今日から私は、心の旅人です。 性格は明るいはずですが、世界を観察するとは、どういうことなのでしょう。 書籍『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』(山中伸弥、羽生善治、是枝裕和、山極壽一、永田和宏)に、興味深い話題がありました。映画監督の、是枝裕和さんが講演された内容からです。 是枝さんは、カメラを持ち、映画を撮るようになり、疑問に感じたことがあるといわれます。いわく、「映像を制作すること、映画をつくることは自己表現なのか」とのことです。 続く言葉が、心に残ります。 もし自分の中から出てくる表現であるならば、カメラはなぜ自分へ向かわないのだろうか、と。 もっともではあります。自分でカメラを持った人にしか、たどり着けない問いでもあります。是枝さんは、自分の言葉で、問いに答えます。 映画というのは、決してつくり手である自分を撮るのではありません。僕はカメラの脇にいて、カ

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    komz 2017/10/27
    記憶の海岸、無人島
  • 「かーそる」2017年7月号

    個人的には、これで、文章を書くことについて、よくわかったと思っています。しばらく、検討の必要がなくなり、便利になりました。 『サウンド&レコーディング・マガジン 2005年7月号』で、音楽家のレイ・ハラカミさんが、インタビューに答えています。レイ・ハラカミさんの作る音楽には、主旋律、主役がいないようである、という話からです。 (インタビュアー) 自分自身の作品としては、今後も真ん中に主体の無いものを作り続けるのですか? (ハラカミ) そうですね、基的にそういう音楽が好きなんだろうなと思います。主旋律そのものを想像させる楽しみが自分の音楽にはあると思うので。 主旋律がいないように感じられるのは、主旋律を、想像させる楽しみがあるからだと言われます。心に残る言葉です。 (インタビュアー) 確かにハラカミさんの音楽を聴いていると、聴いていることを忘れてしまう感じがあるといいますが、押しつけがまし

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    komz 2017/09/04
    「かーそる」2017年7月号
  • 険しく遠い千里のホテル

    すっかり、暖かくなりました。五月です。四月にはまだ、寒い日が多く、私は、素直に春を感じることができません。私は寒さが苦手で、暑さが好きです。私の場合だと、気温に比例して、快適さが変動するようなのです。 他方で、寒くても、暑くても、私は、外の風に当たるのが嫌いです。当に真夏の盛りになるまで、手袋が手放せません。肌に風が当たるからです。風というのは、どうしてこう、次から次へと吹いてくるのでしょうか。まるで、無限に部屋数のあるホテルに、次から次へとお客さんが来るかのようです。 冬に使っていた手袋では暑くなりますので、五月は、薄い手袋に買い換える季節です。 それでも、五月は、冬よりは気を抜いて過ごすことができます。寒さに耐えようとしなくてよいというのは、嬉しいものです。穏やかな気持ちになります。春の風は、千里も先まで届いていくのです。 春の穏やかさを思うとき、よく、思い出すことがあります。 こち

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    komz 2017/05/24
    険しく遠い千里のホテル
  • 優しい記憶

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    komz 2017/03/15
    優しい記憶
  • 身を削らない石

    ロックバンド「シド」の楽曲「V.I.P」に、次のような歌詞があります。 そんなものに流され続けて 角の取れた原石には きっと 誰も用はない 川を流れる石が少しずつ丸くなっていくように、角ばっていた原石がなめらかになってしまうのは良いことではない、ということでしょう。引用部分のみだと主語がわかりにくくなっていますが、人として、といった雰囲気かと思います。 私はこれを目にして、少なからず驚きました。そうなのか、と思ったのです。 それは、私が日常を過ごすときにいつも考えていることが、直感的に、正反対のことであったためです。 日常を過ごすときに考えることは重要です。個人的な範囲では、ほとんど、生きることのすべてと言っても構わないでしょう。個人的というのは、the man ではなく、a man という意味です。 日常を過ごすことには、限りある時間をいかなる行動に割り当てていくか、といった具体的な話と

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    komz 2016/11/26
    身を削らない石
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