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ブックマーク / naoya.hatenablog.com (11)

  • 豚丼にまつわる話 - naoyaの寿司ブログ

    最近、会社の近所の和屋がお気に入りである。看板メニューが何なのかはっきりしないけど、いちおしは豚丼だ。ほかの品、たとえば煮魚善なんかも美味しいのだけどその中でも豚丼は際だって美味しいと思う。ほどよくゆであがった豚バラ肉が丼を覆うように盛りつけてある。味付けはシンプルに塩のみ。素材の旨みをうまく活かしている。「豚肉のどんぶり」と言う字面から想像するよりはずっとヘルシーだしシンプルだから毎日べても飽きも来ない。お米の炊き加減も絶妙で、いいお米を使っているんだなというのがよくわかる。ほどよい塩味の豚バラと、だしが染みこんだ青ネギ、炊きたてのご飯のマリアージュ・・・洒落た?表現をするとそんな感じです。とにかくうまい。あんまり関係ないけど、事をするときに太りにくい事の採り方というのがあるらしく血糖値を急激に上げないように、漬け物、サラダやお味噌汁から手をつけるといいらしい。どんなお店でも和

    komz
    komz 2012/02/24
  • 好きなこと - naoyaの寿司ブログ

    「好きなことをして生きたい」という文脈での「好きなこと」という言葉について考えていた。誰もが「好きなことをやっていきたい」と思う。この「好きなこと」というのは字面でいうほど「好きな」ことではないんじゃないか。そのことを自分では分かっていても、急に聞かれると、「好きなこと」以外の言葉でうまくそれを説明できないから「好きなことをやりたい」ととりあえず言うのでは、と思う。「好きなことをやりたい」という言葉を受け取った人は、言葉を発した相手が現実から逃げようとしているとか、娯楽に興じたいといと思っているのでは、と感じるかもしれない。多くの場合はそうではないと思う。「好きなこと」とには「自分の信じること」であるとか「自分で納得のできること」とか、そんな複数の意味が含まれているのではないか。「納得は誇りだ」という漫画の台詞か何かを気に入ってよく発している知人がいる。そのような意味も込められているように

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    komz 2012/02/18
  • less is more - naoyaの寿司ブログ

    機能は少なく、シンプルな方が良いというのが近頃のスタンダードな考え方だろうけど、それがなぜ良いかについて少し斜め上からの考察。ユーザーから見た場合は、迷いなく使える、そのソフトウェアが提供する機能が限定される。人間は選択肢を与えられるとストレスを感じる生き物なので、選択肢がそれしかない、という状況は快適。少し文脈外れるけど、Readability でページから余計な情報を削いだら集中して読めたりとか、iPhone/iPad のダブルタップで文章にフォーカスしたら同じような状態になるのも、「他に意識を取られるものがなくなる」という心理効果が大きいのだと思う。と、ここまではユーザー視点。一方で、個人的にはこちらも大事だと思うのがサービスの作り手視点。機能をシンプルに、また数も少なく留めておくと、ユーザーがそのサービスをどういう風に使っているかということに対して、自分達の想像とユーザーの実際の行

  • 下宿で一人暮らししていたときのこと - naoyaの寿司ブログ

    ぼくは当時にしては (今でも、だと思うけど) 珍しく、高校生で一人暮らしをしていた。高校三年生になるときに父親の転勤が決まって転校するかどうかという話になったのだけど、部活や受験もあったし、一人秋田に残ることに決めたというのが理由だった。当時ぼくが住んでいた・・・というより世話になっていたのは、いかにも田舎のお母さんが管理人をしている下宿だった。イメージ的にはめぞん一刻の一刻館に近い。だいたい下宿全体で10部屋くらい、玄関は共通で、下宿に入ったらスリッパ。各部屋は廊下を通じてつながっている。風呂やトイレ、洗面所、洗濯機は共同だった。少し大きめの堂があって、6人がけのテーブルがあった。朝ご飯や晩ご飯は、基的にそこでべる。管理人のおばさんが、隣の自分の家から出張ってきて朝ご飯や夜ご飯を作ってくれるのだった。冷蔵庫もみんなで共有していて、各自分の名前を書いて飲み物やレトルト品を保存してい

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    komz 2012/02/15
  • "時間をこま切れにされたら、人は何ものにもなることができない" - naoyaの寿司ブログ

    家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことがどんな職業にもかならず必要なのだとぼくは思います。 一人で過ごす時間が「価値」を生み出す 確かに引っ込み思案で暗い人間は、まわりの人にとって陶しいでしょう。でもその人の中身は、一人で過ごしている間に豊かになっているかもしれない。そしてある瞬間に、「ああ、この人はこういう人なんだ」と誰かが理解してくれるかもしれません。その人なりの他人とのつながり方というのがあるのです。 (吉隆明 『ひきこもれ』)内省的な自分の性格が嫌だなあと思っていた頃に、読んだ。それ以来、多少なりとも、自己肯定のための言葉になった。また読みたくなったので再読して、引っぱってきた。

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    komz 2012/02/12
  • コミュニケーションの設計 - naoyaの寿司ブログ

    まだ最後まで読んでいないのだけど、今読んでいるに、「人間はなぜコミュニケーションするのか」ではなく「コミュニケーションするのが人間なのである」というようなことが述べられていた。レヴィ=ストロースが構造主義に至る過程に関する論述なんですけど。社会があってコミュニケーションがあるのではなく、社会はコミュニケーションのシステムである。なんのためにコミュニケーションするのかではなく、コミュニケーション (交換) するのが人間であり、社会である。じゃあ、コミュニケーションを誘発するソーシャルメディアというのはなぜ使われるのか。それが便利だからとか機能的だからというではなくて、それはコミュニケーションするものだからだとなる。つまり、コミュニケーションアーキテクチャに正解はない ─ それを機能主義的に、こういうことに使えるから使われるんだ、という分析では理解し得ない。Facebook のグラフはリアル

  • 自覚 - naoyaの寿司ブログ

    きれいなコードを書こうぜ、といってるのに対して製品の善し悪しに綺麗なコードがいいかどうかなんて関係ない、みたいな話とか 仕様書とかぜんぜん読まないから仕様書なんて全く必要ない、さっさとコード書けとかコードだけで語れ、とか TDD されてないからリファクタリングできないんだ、だからカバレッジ100%にするんだ、ぜんぶテスト書け、とか エンジニア技術から出発して需要を考えない、だから問題から入れ、技術なんて関係ない、とか 企画屋は技術のことがわかってないから、夢物語りばっかり語るんだ、エンジニアがサービス作るべき、とか そういう、何かを反面教師に反対の考え方を支持するみたいなのは注目浴びやすいけど、視座をもうすこし中立にして考えると、だいたいおかしい。かくいうぼくもそんな風に煽ってる時期がありました、若さって怖いです ─ 中庸って知ってるか。伝統や、むかしから習慣として良しとされてきているこ

  • おれはやらない/好きじゃない/興味ない、は批判になってない - naoyaの寿司ブログ

    例えば自分は、あまりシューティングゲームや(近年の) 格闘ゲームはやらないし興味も持っていないけれども、だからといってシューティングゲームや格闘ゲームが楽しいという人たちの気持ちは理解できないことはないし、一定数以上のファンがいることは普通に納得できる。音楽に関して、AKB48やEXILEやももクロとかは聴かないし観ないけれど、まあ、そういうエンタテイメント産業やカルチャーとかがあって、それを楽しむ人たちがいるんだろうなとも思う。おそらく、同様の感覚を持っている人が大多数だと思う。だが、ネットサービスや、ソーシャルゲームに関する批評なんかを見ていると、自分はやらないとか興味がない、あんなのにはまるやつはおかしいみたいなものがさも批判のような形でまかり通っていることがあるように見える。この手の発言は、批判ではなくて、単に自分が興味がないということの表明でしかなくその言論には何ひとつの価値もな

  • 面倒な仕事その2 - naoyaの寿司ブログ

    面倒な仕事その2http://naoya.hatenablog.com/entry/2012/01/20/121736に面倒な仕事、ということを書いた。「大きな問題を引き受けるほど、利益は大きい」みたいな話は、まあそれはそうだよねという話でしかなくて、あのポール・グレアムのコラムでぼくが大事だなと思ったところはそこではない。(それに、問題は大きくとらえて解決しろみたいなのはやりたい人はそうすればいい、別に解こうとする問題は必ずしもそんなに大きな問題じゃなくてもいいんじゃないの? 自分たちの解きたいサイズの問題であればそれでいいんじゃないか、と思ったりすることもままあるし。)コラムの中で、大事だなと思ったのは "。無意識に、面倒で嫌な仕事が伴うアイデアが浮かばなくなってしまう。" の「無意識」というところだ。面倒な仕事だって分かってて避けてしまうんだったら、それにちゃんと向き合いましょうね、

  • 面倒な仕事 - naoyaの寿司ブログ

    ポール・グレアム「面倒な仕事の無視」 http://blog.livedoor.jp/lionfan/archives/53580166.html いちばん危険なのは、面倒な仕事を嫌がる気持ちの多くが無意識であることだ。無意識に、面倒で嫌な仕事が伴うアイデアが浮かばなくなってしまう。これが「面倒な仕事の無視」だ。 The most dangerous thing about our dislike of schleps is that much of it is unconscious. Your unconscious won't even let you see ideas that involve painful schleps. That's schlep blindness. このコラムには当に大切なことが書かれている。近年ずっと感じてきた違和感が、文章になっている。面倒な仕

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    komz 2012/01/21
  • "プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らない" - naoyaの寿司ブログ

    http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1 を読んで。論とは少し外れちゃうんだけど うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。 このくだりはわかるような気がする。ソフトウェアの開発をやっていると、ときおり新しい言語とか、新しいプラットフォームにチャレンジしようということがある。iPhoneアプリを作りたい、とか、たまには毛色の違う言語を触ってみよう、とか。なんやかんやでもう10年以上、プログラミングはしているので、そういう新しいものを学ぼうと思ったときに、自分の能力を過信してか、いきなりそこそこ質実

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