新時代の幕開けを迎えました。振り返れば、30年前の89年1月7日に昭和天皇が崩御。時代は平成へと進みます。あの昭和最後の日、全国高校ラグビーの決勝が、東大阪市の花園ラグビー場で行われるはずでした。日刊スポーツでは19年元日に、WEB限定で“幻の決勝戦”として語り継がれる大阪工大高(現常翔学園)-茗渓学園(茨城)の舞台裏を、両校の視点から描きました。令和最初の日に、再掲載します。 ◇ ◇ ◇ 大阪の難波からほど近い日本橋に、大阪工大高が定宿にするホテルくら本はある。花園に出場すれば、そこで年を越すのが恒例だった。89年1月7日。その日は、華麗なランニングラグビーで快進撃を続ける茨城県代表の茗渓学園との決勝戦が行われるはずだった。 ちょうど、出発の支度をしていた時だった。主将でFBの伊藤紀晶は、選手全員が食堂に呼ばれたのを覚えている。既に朝食はとった。決勝に向けたミーティングだ