論考に関するkoo-sokzeshkyのブックマーク (13)

  • メモ - 弱者にやさしく人間味のない社会/肌のぬくもりの感じられる素朴な差別

    最近、哲学者の千葉雅也氏がサイゼリヤについて語っていたツイートが「炎上」状態になっていた。 サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は当に寂しいところになった。これでいいと気で思っているんですか、当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。 2022-07-05 12:56:36 ものすごく卑近な言い方にすれば、無味乾燥な記号にすることで来それを指す言葉が持っていた豊潤さを消している、人間味であるとか詩的感性の剝奪である、というようなことであろう。コンテキスト等についてアンフェアにならないように紹介しておけば、togetterと氏のアカウントの直接の発言も参照されたい。 今回は、氏の発言がなぜ「炎上」状態になったかについて私見および他の方のご意見をメモとして残しておく。今回の内容は、私以外の方

    メモ - 弱者にやさしく人間味のない社会/肌のぬくもりの感じられる素朴な差別
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/07
    とても面白い / 千葉氏は「全体が塗り潰される」ことを嘆いてるんだよね。不特定多数が集まる場が包摂的になることを受け入れつつ、やさしくない豊潤な文化もどこかで残すのが良さそうだけど、そう単純でもないか
  • 侮蔑表現を気に入るというアメリカの伝統について

    最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。 この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。 ヤンキーとヤンキードゥードゥルYankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。 ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。 一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。 日の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yan

    侮蔑表現を気に入るというアメリカの伝統について
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    koo-sokzeshky 2022/07/07
    肌感がないのでアメリカ特有か?は疑問だけど、面白い。レドマツはいい意味で面白い名前なのでむしろ批判的文脈を丸くするために使いたくなっちゃう人も多いと思うんだけど、支持者から見て不快なのも分かる。難しい
  • ジョセフ・ヒース「資本主義をぶっ壊す! 働いたら負け! 夢を追いかけろ! 損得なんてクソ喰らえ!:『反体制』はカネになる」(2022年7月2日)

    Down with capitalism! For people and companies alike, there’s a new path to profits: Follow your dream, and trash-talk profits As the economy becomes increasingly dematerialized, trust becomes more important to every transaction, and showing passion can be a quick way to profitability By Joseph Heath Special to The Star Sat., July 2, 2022 無知な大学生だった頃の話だ。授業をサボり、学生会館の地下に篭って、学内新聞の編集者として日々過ごしていた。そこで、記事を

    ジョセフ・ヒース「資本主義をぶっ壊す! 働いたら負け! 夢を追いかけろ! 損得なんてクソ喰らえ!:『反体制』はカネになる」(2022年7月2日)
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    koo-sokzeshky 2022/07/06
    「副産物社会」なるほど面白い
  • メタマウンティング・ゲーム | 麦 Baku

    気づいたらマウンティングの話をあまりしなくなったなー思ったので、忘れてしまう前に20代の独自研究をまとめておきます。 年収、地方都市の中心駅への近さ、フォロワー数など、大雑把に定量化・比較できる尺度で競うことを「0次のマウンティング」と呼んでいる。これはチンパンジーが馬乗りになり力の優位性を示すように、もっとも原義に近い動物的なマウンティングだ。しかし考えてみると、そもそも「マウンティング」という言葉の発明そのものが、そうしたせせこましい競争を繰り広げている界隈まるごとへの見下しであって、それもまた一つのマウンティングといえる。こうしたマウンティングを「0次のマウンティングに対するマウンティング」、つまり「1次のマウンティング」とここでは呼ぶ。イケハヤさんの「まだ東京で消耗しているの?」は、東京という都市において見下し見下され、個人としての内面的な幸福より外面的な成功に心血を注ぐ競争社会全

    メタマウンティング・ゲーム | 麦 Baku
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/06
    n次の脱構築を試みて脳内リソースが枯渇することはしょっちゅうなので、とてもよく分かると言わざるを得ない。適当なことを言うけど、何かこう、螺旋を畳み込むみたいなイメージで収束させられないかしら。
  • 公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整する..

    公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。 間違い。 なんか、真に受けてる人が多いみたいなのでちゃんと書いておくけども。一部ブクマが指摘しているとおり、「公共の福祉」を人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であると解する立場は「一元的内在制約説」と呼ばれ、昭和30年代からわりと長らく憲法学の主流な学説とされてきた。 けれど、机上の空論に過ぎないことが既に広く知られている。 みんな大好き長谷部教授の「新法学ライブラリー2 憲法」(新世社。当増田の底は第4版(2008年))から持ってきてみよう。 もっとも,一元的内在制約説については,より根底的な点で,その妥当性に疑問を呈することもできる。 第一に,人権を制約する根拠となるのは,かならず他の人権でなければならないとの前提は,「人権」という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難であ

    公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整する..
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    koo-sokzeshky 2022/07/04
    いいねいいね、最終的にどう考えればいいのかはまだ分からないけど、ありがたい。と同時に、こういう話になってくると私のような素人は手も足も出んなという感想もある / 元増氏もトラバで返答してるみたい
  • じゃあ大真面目に公共の福祉と表現の自由の話をするよ

    公共の福祉とは公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。 ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。 具体例~公共の福祉と表現の自由~表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。 かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。 このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利

    じゃあ大真面目に公共の福祉と表現の自由の話をするよ
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    koo-sokzeshky 2022/07/04
    事例付きでありがたい。「法規制したいわけではない」という意見に対しては、1. 法規制を目指す人が実際いる、2. 法規制以外の圧力にも限度がある、と2種類の反応があってややこしい(明らかに二項対立じゃない)
  • セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 - 内田樹の研究室

    20年ほど前に性についての倫理を主題にした論集に「セックスワーク」についての寄稿を求められた。まったく不得手な論件だったけれども、苦心して書いた。なんというだったか忘れてしまった。たしか岩波書店から出た論集だと思うけれども、もう手元にない。 考えていることは昔と変わらない。今はもうこんなにきつい書き方はしないと思うけれど。 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、を閉じてしまう。困ったものではあるが、私を蝕むこの疲労感は、必ずしも個人的なものとは思われない。 私の見るところ、この問題については、どなたの言っていることにも「一理」ある。ただし、「一理しかない」。異論と折り合い、より広範

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    koo-sokzeshky 2022/07/02
    身体性の話、哲学の文脈では普通にありそうだしポッと出の新概念というわけではないかと。まあ近現代へのカウンターなので、当事者含めあまり同意されないのも自然、でも単純化の歯止めとして無価値ではないと思う
  • 「表現の自由」についてのメモ的なもの

    下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。 1. 表現の自由とはなにか? 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者と

    「表現の自由」についてのメモ的なもの
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/02
    リベラル⇔リバタリアン、オタクコンテンツ解放派⇔批判派の2軸4象限あり、「自由」「規制」に込める意味が全く違う…という暫定理解。「規制派」「表現の自由」という呼称や看板への違和感もそれ由来なのかなと。
  • どこまでが「批判」でどこからが「圧力」か

    銀英伝まわりで 「社会学者が変えろと言ったら圧力だ!」 「『変えるべき』って発言している以上強制だ!」 っていってる人いるけどさ お前ら「表現の自由」どこにやっちゃったの? 「この作品のここはこうよくないから変えた方がいいと思う」 って批評自体がもう許されないものだと気で思ってんの? つうかこれほんとにこれからの社会で合意とってかなきゃいけない問題だと思うんだけど どこまでが自由な批判・批評で、どこからが圧力か ってその場その場でブレないそれなりの基準がいると思うわ みんな自分に甘くて相手に厳しいんだもん あいちトリエンナーレ潰そうとしたネトウヨにせよ 宇崎ちゃんに抗議したフェミにせよ 今回の社会学者にせよ 全員が「表現の自由」を持ってるというのが前提だろうよ お前らヴォルテール大好きなんじゃなかったの? 個人的な基準はこんなかんじ 異論は認める 圧力・法的な表現規制 ・国会議員・市議会

    どこまでが「批判」でどこからが「圧力」か
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/01
    過去記事ブクマ。ブコメ見ると伝わってないので一歩惜しいという感じ
  • 私は共産党よりも左にいるのかもしれない

    私は誰かに「表現の自由戦士ですか?」と聞かれれば、「そうですよ?」と真顔で、しかも相手のことを若干哀れみながら即答する程度には表現の自由戦士であるつもりだ。なぜ哀れむかというと、表現の自由戦士という言葉が私には「黒人と女性の選挙権戦士」と同じ感触を持って聞こえるからだ。「それ、大分昔に結論が出てて、しかもその結論に従わないと野蛮人みたいな扱いをされるはずじゃなかった?」と。このあたり、「野蛮な西洋思考から脱却してイスラムを根に据えた政治をやれ」と言って戦っている人と思考形式としては似通っているかもしれない(主張にも方法にも同意しないが)ので、戦士と呼ばれるのもむべなるかな、と思う。 そんな私の政治的立場は、やけくそになって後藤輝樹に投票した一回の過ちを除けば、10年ほど毎回共産党に投票してきたし、だいぶ左寄りであるとは思ってきた。とは言えきょうび共産主義を目指すというのは頭がおかしいとし

    私は共産党よりも左にいるのかもしれない
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/01
    過去記事ブクマ。こういう頭でっかち風の文章大好き
  • オタクコンテンツ批判騒動への感想と自分の中の認識の変化

    主にオタクコンテンツが性的とかジェンダー的に問題ありとして批判を受けた騒動について 印象に残っているやつをピックアップして当時の感想と、自分の中の印象や立ち位置がどう変化していったかをメモする。 自分用なので読まなくていいです。長いので。 ○筆者 30代女。子供の頃から家にネット環境がありオタク文化と親和性のあるコミュニティに触れたのと、 何故かニチアサ番組だったギャラクシーエンジェルの影響から美少女系コンテンツを中心にしたオタクになる。 ●2013年以前の自分の認識・立ち位置 オタク的な表現を非オタクの人の目に触れるところに出すことに対して、否定派とはいかないまでも 程度によっては少し居心地が悪くなる感じ。 オタク差別と言える程のものはほとんど無かったけれどまだまだオタクは隠すものという価値観の中で育ってきたせいもあり、 あんまおおっぴらにするものでもないよな、という感覚。 とはいえ下の

    オタクコンテンツ批判騒動への感想と自分の中の認識の変化
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    koo-sokzeshky 2022/07/01
    過去記事ブクマ
  • 「表現自由派」と「表現規制派」の対立など存在しない

    参院選で赤松健などが「表現自由派」と「表現規制派」の対立が存在して、表現の自由を守れと主張している、これはそもそもが完全にデマであり間違いである。リベラルフェミニストが「表現の自由を制限すべき」などと考えているわけがないし、むしろその逆である。 フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。 そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つま

    「表現自由派」と「表現規制派」の対立など存在しない
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/07/01
    大事な話だけど疑問も残る / タイトルは一部賛成で「何が自由で何を規制するか(あるいは全て自由か)」で約3グループに分かれるかも? / 追記2読了、「あくまで自由が目的で規制は手段」という要約でいいかしら
  • 「ジェンダー」の指す方向が20年かけて反転している    

    https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1541296486759419904 赤松 健 ⋈ 参議院議員(全国比例)候補者 on Twitter: "作家が政治に関わることを嫌うファンは多いのに一木先生が応援に来てくれたのは、状況がかつてないほど緊迫しているから。外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟… https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kakitama/status/1541388284227907584 田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 on Twitter:"20年前にも 「行き過ぎたジェンダーフリー」批判は統一教会や安倍氏など自民”保守”派から出てい

    「ジェンダー」の指す方向が20年かけて反転している    
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2022/06/28
    私も整理できてないけど、軸がいくつもあって別軸で見れば一貫してたりもするので「そっくり入れ替わってる」とは言えないかなぁ。とは言え、ある軸ではこの増田の言う反転もあるので、無意味な話でもないと思う。
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