ブックマーク / note.com/nyake (2)

  • 同人誌の企画中止につきまして|三宅香帆

    私の同人誌企画およびそのアンケートにつきまして、ご批判を受け、同人誌企画は延期させていただきます。企画のアンケートで傷つけてしまった方には、心よりお詫び申し上げます。当に申し訳ございませんでした。 ご批判とはこちらのブログのことです。 そもそも企画の意図につきましてこれは私の個人的な興味なのですが、私は受容史というものが、とても好きです。たとえば万葉集について平安時代の官僚が「読みづらくて難しい(意訳)」と書かれていたり、あるいは源氏物語を読んだ菅原孝標女が「こんな恋愛したい」と書き残していたり、そのように「どのように物語を受容したのか」という点について記録が残っていること自体に、とても惹かれるのです。おそらく物語そのものが残ることと同時に、その物語をどう読んでいたのか? という記録が残っていること自体に、胸がじんと熱くなるのです。 そういう意味で、たとえば最初は(ざっくりと)男性向け

    同人誌の企画中止につきまして|三宅香帆
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2024/02/12
    私は批判側に強く共感するけど、そもそも人間関係というのはこのくらい軽いものなんだという世界観の人もけっこういるのかな。その世界観の違いとはある意味では信仰の違いであり、これは宗教的な問題なのかもしれん
  • 『ダンジョン飯』とは「ケアの倫理」の物語である|三宅香帆

    アニメが放送中で(オープニングの映像がとても素敵なのでそこだけでも見てほしい)、評判も上々だという。 私は『ダンジョン飯』を、徹頭徹尾、ケアの倫理の問題を扱った物語として読んだ。 そしてそんな物語がここまで人気になって、たくさんの人に読まれている状況にもすごく感動している。なぜならケアの倫理はーー多くの書籍が指摘する通りーー多くの人に無視されてきた概念だからだ。 ※以下ネタバレ含みます 1 モンスターを倒す勇者の夕を作ったのは誰か?スウェーデン出身のジャーナリストであるカトリーン・マルサルは、『アダム・スミスの夕を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』という著作の中で、ある問いを発した。 経済学は「お金を得るために、肉屋は肉を売り、客は肉を買うことで、ステーキを得ることができる」と考えた。つまり、肉屋はお金を得るため、客はステーキを得るために、肉とお金は交換される。それは全員自分

    『ダンジョン飯』とは「ケアの倫理」の物語である|三宅香帆
    koo-sokzeshky
    koo-sokzeshky 2024/01/22
    ダンジョン飯は多様性など政治的な話にいろいろ繋げやすい作品だと思うけど、ケアの政治性についてそこまで何か描いてたかな… 翼獅子から資本主義は無理すれば繋がるけど資本主義の問題を描ききってないと思うし…
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