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ブックマーク / note.com/fumiken (6)

  • 文章の書き方と考え方、その一提案。|古賀史健

    読書感想文の書き方について、お話しさせていただいた。 ほぼ日のなかでもひときわ大好きなコンテンツ、「勉強の夏、ゲームの夏。」に呼んでいただいての話だ。毎年「意外と高学歴な人々」が講師として招かれるこの企画(たとえば去年は瀧哲史さんなどが登場されている)に、意外と低学歴な自分が出てもいいのだろうかと内心不安に思いながら、ぼくなりの書き方や考え方について、おしゃべりさせていただいた。 もともとぼくは「ことばの正しい文章」や「読みやすい文章」であれば、練習次第で誰にでも書けるようになるし、それでライターとして最低限の仕事を果たせるようになると思っている。むずかしいのは、その先にある「おもしろい文章」を書く力であって、もしかするとそこには才能めいたものが必要になるのかもしれない。これが才能の問題なのか、技術や態度の問題なのか、ぼく自身まだ答えが出ていないところだ。 今回お話しさせていただいたこと

    文章の書き方と考え方、その一提案。|古賀史健
  • 知識と教養とセンスについて。|古賀史健

    「そこはやっぱり教養になっちゃうんだよなあ」 いけ好かない人間どもの会話と思われるだろうが、その結論に落ち着くことは多い。「あの人は、頭はいいんだろうけどねえ」みたいな会話の流れから。あるいは「彼もがんばってはいるんだけどねえ」みたいな会話のおわりとして。「なーにが足りないんだろね?」を考え、最終的に出てくることばは「教養」だったりする。なんとなくずるくてこわい結論だなあ、と思いつつも、ほかに言いようがない。 なにがずるいのか。なにがこわいのか。 教養のことを、「幅広い知識」くらいに考えている人は多い。むつかしいをたくさん読んで、たくさん勉強して、たくさんの情報をインプットしていけば、教養が磨かれる。そう考えている人は多い。 でも、それは違うのだ。 たとえば日国語大辞典によると、教養とは「学問、知識などによって養われた品位」のことだとされている。 品位? 同じ辞書によると「品位」とは、

    知識と教養とセンスについて。|古賀史健
  • ノーベル賞と生産性。|古賀史健

    吾輩は風邪である。診断はまだない。 風邪の諸症状ってやつは、どれもいかにも陶しい。たとえば、鼻が出る。喉が痛んで咳が出る。微熱が続いてぼーっとする。もしもこれが腕を骨折したとかであれば、話はわかりやすい。たぶん箸も持てないだろうし、紐も結べない。いますぐ病院に駆け込んで、なんらかの治療してもらわないと日常生活が危ぶまれる。ところが風邪は、箸が持てるのだ。紐が結べるのだ。いまぼくがこれを書いているようにキーボードだって打てるのだし、鼻が出ようと咳が出ようと日常生活に支障はないのだ。 ただ、鼻や咳が出たり熱が続いたりしていると「調子」が悪い。風邪の諸症状とは、ひとえに「調子の悪さ」であって、それゆえタチが悪いというか、場合によっては骨折以上に、仕事のクオリティを低下させる代物なのである。 むかしから「ほんとの風邪薬を発明したらノーベル賞ものだ」といわれる。 以前のぼくはそれを、ちょっと極

    ノーベル賞と生産性。|古賀史健
  • 「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。|古賀史健

    ちゃんと別の話に行きつくことを断ったうえで、また犬の話からはじめる。 生後4ヵ月を過ぎたうちの犬は、まあ咬みぐせがひどかった。いま劇的に改善しつつあるのだけど、とにかくひとの手を咬み、足を咬み、服を咬みまくっていた。訓練士の先生は「この子、見た目よりも怖がりなんですよ」と言った。ストレスに弱いから、とりあえず咬もうとする。それで防御しようとする。別に攻撃したいんじゃなくって、ビビリなだけなんです、と。 人間でもまったく同じだなあ、と思う。 「傷つきやすいひと」は、往々にして「傷つけやすいひと」とイコールだったりする。ちいさなことに傷つくひとは、同じくちいさなことで誰かを傷つけていく。怒りの沸点が低く、しょうもない私憤を、たいそうな公憤であるかのようにすげ替えて、誰かを攻撃する。 アドラー心理学では、「ひとは自身の劣等感を刺激されたとき、『怒り』の感情を持ちだし、他者を攻撃する」と考える。

    「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。|古賀史健
  • わたしはぜんぜん流行っていない。|古賀史健

    これもエゴサーチ、というのでしょうか。 自分の名前を検索することはないのですが、自分の関わった仕事、自分の好きなもの、自分の好きなひと、などの名前を検索することがあります。 すると、よほどのことがないかぎり、それを話題にしてくださっている方々は大なり小なりいます。自分の書いたや記事について、「おもしろかった」と言ってくださる方、「けしからん、不愉快だ」とぷんぷんされている方、あるいは「最近これが話題だけど、どーなの?」とおっしゃっている方、いろんなところにいろんな方々がいます。 それを見ていると、「わぁ、バズってる」「きゃあ、炎上してる」と一喜一憂したくなるのが人情というものでしょう。 でもね。 ほんとのほんとのほんとの話、そこで感じている「バズり」や「炎上」って、ぜーんぜんたいしたもんじゃないんですよ。 だって、自分のほうから探しに行って、検索エンジンというテクノロジーの力を借りて、よ

    わたしはぜんぜん流行っていない。|古賀史健
  • ほぼ日は、ほんとうにすごい。|古賀史健

    腰を抜かしました。 なにに抜かしたってもう、日更新された「ほぼ日刊イトイ新聞」の新連載、「バルミューダのパンが焼けるまで。」です。ある意味これは、公共財のようなお手として記録しておいたほうがいいんじゃないか。そんな(ほんとに勝手な)使命感から、いまこれを書いています。読んでおもしろい投稿かどうかはわかりません。ちょうど書評のような、ネットコンテンツ評と思って読んでいただけるとありがたいです。 まず、なにはともあれ第一回の記事を読んでみてください。どんな立場の誰が読んでもおもしろいに決まっていますので。 ……ねえ。なんだかもう、見事な時代劇を見ているような感じでしょう。もちろん今回最大の見どころは、日屈指の聞き手である糸井重里さんの「聞き」です。もちろんそこにもびっくり仰天だったのですが、とにかくこの記事は、構成がすばらしいんですよ。インターネット時代、縦スクロール時代の、構成のお手

    ほぼ日は、ほんとうにすごい。|古賀史健
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