ブックマーク / river-daishiro.hatenablog.com (113)

  • 半分コ。 - 言葉と記憶の小径。

    国道沿いに、大判焼きの小さなお店があった。お店の前を通ると、おしるこをこがしたような芳ばしい香りがして、口のなかはいつも、3日も餌にありつけないノラ犬みたいに、よだれでいっぱいになった。 小学3年生のときのこと。アベ君と一緒にお店の前を通りかかると、いつものいい匂いがぷんと鼻をくすぐり、2人の口はまた、よだれであふれかえった(と思う)。 アベ君は「10円ある」といった。私のズボンのポケットには、5円玉が1枚。その日、母親から10円もらったが、アベ君と会う前に寄った駄菓子屋で、1円の飴を5つ買ってべてしまったのだ。 大判焼きは1つ15円。「半分コしてべよう」と2人は顔を合わせ、おそるおそる暖簾をくぐった。暖簾にはまだ、2人の背は届かなかった。 お店のなかは、コンクリートの土間に安っぽいテーブルが2つ。「ここでべていいですか」とおじさんに聞くと「いいよ」という。子どもだけで、お店のお客さ

    半分コ。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/10/03
  • いくつかの場面。 - 言葉と記憶の小径。

    昼休みは、ラジオと決めている。が、どんなに静かな語りでも、人の声はやがて頭が痛くなる。 昔の音楽がいい。演歌であろうが、歌謡曲であろうが、そのまま流していても気にならない。のんびりとしたこの時間は、一日のなかでも貴重なリラックスタイム。 河島英五の曲が流れていた。特別にファンでもなかったのだけれど、好きな曲目が2つある。「生きてりゃいいさ」と「いくつかの場面」。今日は「いくつかの場面」。 遠い昔の話。インドのとある小さな街で、シタールを習ったことがあった。正確にいうと、教えてくれれば、それを買うと店の人と交渉したのだった。ちょうど1カ月通って、最後というその日。「おまえ、カマシマという歌手を知っているか」と先生が尋ねてきた。 顔が長く、髪が肩まで伸びていて、だみ声の大柄な男だった。私が通う前日まで通ってきていたという。私は知らない、と答えた。 帰国して、ある日のこと。偶然につけたテレビの番

    いくつかの場面。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/09/28
  • 時間という養分。 - 言葉と記憶の小径。

    農産物は自然の営みが作るもので、人間はちょっとした手助けをすることしかできない。味噌、しょう油、納豆などの発酵品も、来は自然のなかに存在する酵母や菌と時間との相互作用で完成される。 大手の品会社で話をうかがったことがある。味噌もしょう油も塩辛も、漬物も、発酵品はすべて、時間という工程を徹底的に省略する。品は白衣の研究者たちが研究室で生み出す「商材」なのだという。 「半年も1年間も待っていられない。工程を短くするだけで製法原理は同じ」。そのための研究開発、大量生産である、彼らはそういって胸を張った。 薬剤を媒体に、数時間あるいは数日単位でできる発酵品はすでに「工業製品」だ。自然の地力を低下させてもなお、資材と薬剤を用いて収穫向上を図る近代農業と同じ発想といえる。 住宅建築に多く用いられる人工乾燥材がある。高温の釜で短時間で含水率を下げる。長尺ものを乾燥させる巨大な釜もある。天然乾

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    koppasan 2024/09/26
  • 弱さ、脆さ、強さ。 - 言葉と記憶の小径。

    〇日 カミさんは、1週間の出張。ネコの「ハルちゃん」と留守番。家事全般は嫌いではないので、不便はない。 05時起床。毎朝、寝室から出たところでお行儀よく座って待っている「ハルちゃん」に餌と水。保護ネコのくせして、動作のすべてに品がある。神棚、仏壇には水やお茶、花。お湯を沸かし、洗顔をしたあとで洗濯機を回す。電気料金は08時-22時までが割安な料金体系なので、08時までに家電の大半を稼働させる。 少し落ち着いたら、朝。ここ数年、しょうが紅茶(紅茶にしょうがを小さじ半分ほどおろしたものを入れるだけ。気分で黒砂糖かハチミツを加える)1杯か、みそ汁1杯。夕はたっぷりいただくので、朝はこんなんでちょうどよい。コーヒーはいつも淹れている。 今朝のみそ汁は、冷蔵庫に残っていたピーマン、シメジ、ネギ、ニンジン、ホウレンソウ(冷凍)の具だくさん。おわん1杯の水と煮干し1尾を鍋に入れ、おわん1杯によそった

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    koppasan 2024/09/10
  • 「ちいさいおうち」。 - 言葉と記憶の小径。

    を読むときの時間は、マンガをめくるときに流れる時間とは少し違う。ページをめくるまでの時間、めくるその指が感じている紙の質感、紙からに立ち上る匂いも、みんな違う気がする。 よほどの絵好きでなければ、人生の中で、絵にふれる時間は、他の書籍やメディアに比べると、圧倒的に少ないはずだ。だからこそ、絵や児童書は、意識をして手に取り、覚悟を決めて読む。「ちいさいおうち」も、そんな中の1冊。 しずかないなかに ちいさいおうちがたっていました やがてどうろができ 高いビルがたち まわりがにぎやかな町になるにつれて ちいさいおうちは ひなぎくの花がさく丘をなつかしく思うのでした――。 四季折々、美しい景色のなかに佇む「ちいさいおうち」。こんなに幸せな時間が、いつまでも続くと思ってたが、家の回りはどんどん変化してしてしまう。 家の前には自動車が走り、丘を崩して道ができ、大きなビルが建ち、やがて電車が

    「ちいさいおうち」。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/09/04
  • 音。 - 言葉と記憶の小径。

    近くに中学校がある。以前は、授業の前後のチャイムの音や生徒たちの声が聞こえていたが、最近、聞かなくなった。 近所の人の話では、子どもたちの声がうるさいと、中学校に苦情が寄せられたという。そんなあ、といった気持ちで聞いていたが、除夜の鐘も騒音だという苦情が急増し、鐘を突くのを止める寺院も少なくないそうだ。 確かに、日常はあらゆる音であふれている。テレビもラジオも、誰かがずっとしゃべっている。アナウンスもBGMもなしで、1時間、ずっとカエルの鳴き声だけの番組なんてない。街を歩けば商店街から発せられる大音量の音に包まれ、電車に乗れば日語、英語中国語が矢継ぎ早に放たれる。モノレール羽田空港線のアナウンスは、日英中韓の4カ国語だった。 家の中の音も変わってきた。昭和の朝の音は、トントントンという、小気味のいいまな板の音だった。洋裁をしていた母の使う包丁は、鋏と同じく恐ろしいほど鋭く研ぎ上げられ、

    音。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/08/29
  • 解体。 - 言葉と記憶の小径。

    実家の処分をお願いしている建設会社から写真が届いていた。 同社のAさんがメールで送ってくれたのだ。 49坪の土地に、18坪の建物。 鉄道官舎から引っ越した後、55年間、世話になった土地と家であった。 18歳まで住み、その後は何度となく帰省してきた家でもある。 最後は認知症の母に代わって、解体を決断し、帰省中の短い時間のなかで一連の手続きを終わらせた。 建物は解体の28年前に一度、減築している。 私が実家に戻る予定が100%ないことを父が確認し、その直後、夫婦2人だけの終の棲家として、寝室のみを個室とし(それも襖で開閉自在とした)あとは全館オープンな間取りにしてしまった。 18坪とはいえ、坪に換算すると36畳。平屋でこれだけの大空間は、そこらの家より、ずっとおおらかに見えた。 しかし、完成後1年も経たずに父は逝去し、母の一人住まいが始まった。 いまの我が家から実家のある町を往復すると交通費だ

    解体。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/08/22
  • 名言。 - 言葉と記憶の小径。

    〇日 お盆。義父三回忌、母一周忌。確かにいた人が、確かに、いない夏。義父は地元の墓園に葬った。母の遺骨は、700キロ以上も離れた遠い地(寺院の骨堂)に置いてある。今朝、デスクのひきだしを開ける。施設にいたころの母の写真が数枚。いつもきれいに髪を染めていた。晩年はそれもしなくなっていた。写真のなかの、真っ白でペタンと薄くなった髪の母は別人のようだった。母の死は遠くて、近い。 この春訪れた沖縄では、たくさんの墓地を見た。あんなに小さな久高島でさえ、個々の墓碑は、畳数枚分もの広さがある。共同体が根強く機能する地域では、死はいまだ生の延長線上にある。近年まで、風葬や洗骨の儀式が残り、人の身体を燃やすことすらしなかった。人はただの物体ではなく、亡くなっても、家族と地続きの身近な生命体として崇め続ける。そうした重厚な文化から照射したときの、自分の生の薄っぺらさ、雑さ加減。 〇日 テレビはオリンピック、

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    koppasan 2024/08/21
  • 「深い河」。 - 言葉と記憶の小径。

    英語でベナレス、ヒンドゥー語ではバラナシという。首都デリーから南東に約82キロ。ヒンドゥー教最大の聖地であり、インド各地から年間100万人を超える巡礼者が訪れる。 街を流れるガンジス河畔は「大いなる火葬場」として知られ、1日に100体近い遺体が金銀の艶やかな布にくるまれ、河岸に点在する火葬場へと運ばれる。遠藤周作は「深い河」の中で「ガンジス川は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰を飲み込んで流れていきます」と書いている。 ■ 生も死も一緒に野ざらしにされるようなこの地を旅をしたことがあった。最初の旅は、19歳の夏。ムンバイ(当時はボンベイといった)、オーランガバード、デリー、カジュラホを経由して、最終目的地のバラナシの手前100キロほどの小村にたどり着いた。 この国の街はどこも、すべての生き物の希望を奪うような渇きに支配されている。ターメ

    「深い河」。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/08/01
  • 営業戦略十訓。 - 言葉と記憶の小径。

    広告会社に勤めていたA君から「(広告)営業戦略十訓」というものを教えてもらったことがある。「内緒ですよ」という話だったが、人の目の前で検索するとたくさん出てくる。「みんな、この輪の中に組み込まれているんです」。ちょっと怖い話だが、その「十訓」とは以下のとおり。 1.混乱をつくる。 2.捨てさせる。 3.無駄遣いさせる。 4.季節を忘れさせる。 5.贈り物をさせる。 6.きっかけを投じる。 7.コンビネーションで使わせる。 8.流行遅れと錯覚させる。 9.気安く買わせる。 10.もっと消費させる。 といった内容だが、この戦略、見事としかいいようがない。思わず、人の前で拍手をしてしまった。 あらゆるモノが市場にばらまかれ、残ったモノ、使えなくなったモノは膨大な費用をかけて地中や大気中に隠されてしまう。そしてまた、生産と消費が繰り返される。経済の循環が生まれ、その隙間でメディアや広告会社が利

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    koppasan 2024/07/29
  • 「一挨一拶」(いちあい いっさつ)。 - 言葉と記憶の小径。

    〇日 これまでの制作物の大半を捨てる。長い間保管していた、数百枚に及ぶポジフィルム(スライド)、ポジフィルム用ビューウァー・拡大鏡など。古い椅子、キャビネットの引き出しの中の書類、伝票類もぜーんぶ捨てる。棚を眺めて、不用なを数十冊、紐でくくる。 不用といっても、ここに残っているは2、3度、再読を繰り返し、お世話になってきたばかり。1冊1冊に手を合わせ、まとめた。いつもお世話になっている業者さんに引き取ってもらうことになる。 賤しげなるもの。 居たるあたりに調度の多き。 硯に筆の多き。 持仏堂に仏の多き。 前栽(せんざい)に石・草木の多き。 家の内に子・孫(うまご)の多き。 人にあひて詞の多き。 「徒然草 第七十二段 賤しげなるもの」 いまよりモノが少ないはずの700年も前の日で、身の回りをモノだらけにしていることや大家族で暮らすことの卑しさ、口数が多いことの醜さを断罪している。こ

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    koppasan 2024/07/20
  • 夢の話。 - 言葉と記憶の小径。

    仕事の帰りに立ち寄った、どこかの湖畔の古い旅館。 厨房らしきところの 少しだけ開けられた窓から 白い蒸気がゆらゆらと立ち上っている。 まだ営業しているんだ。 そう思って 正面玄関からホールに入ると、 コックさんの白い制服を着たAさんが笑顔で迎えてくれた。 おまえ、よく来たな。 親族以外で、私のことを下の名前で呼んだり、 おまえ呼ばわりするのは、 この街に来てからは二人しかいない。 Aさんはその一人で、工務店の社長さんだった。 亡くなる1カ月前にいきなり 事務所を訪ねてきて 「ここ落ち着くなあ」といって おまえ、悪いけど、 10人分の感謝状を書いてくれと、頭を下げた。 「俺、文章なんか書けないの、知ってるよな」 末期のがんだった。 時間はないけど、 しゃべる時間は必ずつくるといって その日は帰っていった。 が、その時間がつくられることはなかった。 詳細な検査をする前の旅立ちだった。 おまえは

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    koppasan 2024/07/14
    合掌
  • 夏なんです。 - 言葉と記憶の小径。

    身体が暑さでどろりと溶けそうな季節になると「風街ろまん」(かぜまちろまん はっぴいえんど)が聴きたくなる。大好きな「夏なんです」は松隆の作詞、細野晴臣の作曲・ボーカル。 いつかBSで見た大瀧詠一のトリビュート番組で、松隆が「大瀧さんはラブソングを歌えるが、細野さんは…」といっていたが、それはおそらく、細野晴臣の曲づくり、歌い方を称賛したのだと思う。世代も時代も国境も越えていく音楽とは、こういうのをいうんだろう。 初めて聴いたのは、高校1年のときだった。前年に母に無理をいって買ってもらったオレンジ色のド派手なラジカセから、だらーんとしたこの曲が流れてきたとき、小学校に行く途中にある、まだ舗装もされていない小径の風景が頭に浮かんだ。駅や街に行くとき、自転車で通る道でもあった。 里山のすそ野になだらかに広がる3区と呼ばれる地域は、遠くまで延々と連なる炭鉱住宅が空とつながっているみたいに見えた

    夏なんです。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/07/06
  • 「林住期」と「ほろび」。 - 言葉と記憶の小径。

    家族を得て、家を建て、少々のお金を稼いで、気が付いたら、この年。果たして自分の人生って、何だったのだろうと振り返る時間が多くなってきた。 かといって、思春期を振り返ると、あまり楽しくないことが多かった気もする。親のいうことを聞き、せっせと学校に通い、嫌いな数学や生物、物理を学び、自由に使えるお金も時間もいまに比べると、圧倒的に不足していた。 身体や心の変化も大きな時期だった。自分の顔が嫌いになり、身体のあちこちに、自分では制御できない違和感を覚え始める。どんな情報も瞬時に収集できる現在と比べると、集められる情報の量は数百数千分の一にも満たない。世界はどうなっているんだろう。どうして、時間はこんなに遅く進むのだろうと、焦ってばかり。ずっと、イライラしっぱなしではあったけど、不幸ではなかった。 孔子は「三十にして立つ」といい「四十にして惑わず」「五十にして天命を知る」といった。60歳では「耳順

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    koppasan 2024/06/30
  • 「林住期」と「ほろび」。 - 言葉と記憶の小径。

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    koppasan 2024/06/28
  • 「すばらしい季節」。 - 言葉と記憶の小径。

    作家として活躍し、92歳で亡くなるまで自然に寄り添う生活を慈しんだターシャ・テューダー。 まるで絵の世界に迷い込んだような18世紀風のコテージや広大な庭は、映画などですっかり有名になりました。 女手ひとつで4人の子供を育てあげ、その後は一人で「思う通りに生きてきた」と語るその人生の軌跡は、いまも多くのことを教えてくれます。 ※ 作・絵: ターシャ・テューダー 訳: 末盛千枝子 (現代企画室) 「すばらしい季節」は1966年、ターシャ50歳の頃の作品です。 当時のアメリカは、ベトナム戦争に介入し始めたものの、いまと同様、繁栄を謳歌(おうか)していました。 ターシャは、1971年、56歳の時に、昔から住みたいと願っていたバーモント州に広大な土地を見つけ、住み始めます。 建物も庭も自らのデザインでした。「四季を愛し、山羊、鶏、、犬、ガチョウなどに囲まれ、朝日と共に起き、自然と歩む」と

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    koppasan 2024/06/23
  • ナナちゃんとバナナ。 - 言葉と記憶の小径。

    ヤシやニッパの葉で屋根を葺き、竹のアンペラを壁にした小さな高床の家がナナちゃんの家である。なかは6畳ほどの広さで、家具らしきは一つもなく、少しの鍋や器が部屋の隅に置かれ、壁には額装されたキリストの絵が1枚。家族6人がここで寝をともにしている。 フィリピン・ネグロス島はかつて「飢餓の島」であった。1984年、砂糖価格が大暴落。大地主制度のもとで自ら栽培する作物も選べない多くの農業労働者とその家族は、飢餓線を彷徨った。その数は15万ともそれ以上とも伝えられている。 農地改革は遅々として進まなかった。相場が不安定な砂糖の代わりにバナナの栽培が盛んになったが、農園はアメリカの大企業や日の商社に寡占され、大地主はさらに安定した収入を獲得し、農業労働者との経済格差は一層拡大していく。 ナナちゃんは6歳だった。父親も母親も農園で働く労働者である。村では、大半の子どもたちが学校にも行けないままで、世

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    koppasan 2024/06/21
  • コスパ。 - 言葉と記憶の小径。

    注文していた椅子が届いた。イトーキというメーカーの製品である。この会社、1890年創業の老舗オフィス家具メーカーで、高い品質と洗練されたデザインは海外でも人気という。北欧の家具より安価で、という前書きが付くが、自分にとっては、この価格では満点の座り心地。コスパの高いモノづくりはいかにも日の老舗メーカーらしい。 ドイツ製のクルマ用シート「RECARO」を使ったことがあった。1906年、馬車職人だったヴィルヘルム・ロイターが馬車メーカーとして創業したメーカーである。背中から腿、腕まで、身体をほどよい硬さで包まれるあの感触を体験した者は、生涯、ほかのシートに満足できないといわれる。当時、クルマを使った遠出が多く、ひどい腰痛で苦しんでいた。通っていた整形外科の医師に、月に3000キロも走るのだったら、こんな椅子もあるようだけど、という話を信じて購入したのだった。 27万円。30年も前の価格である

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    koppasan 2024/06/18
    ライカは愛用品だった戦争カメラマン沢田教一を思い出させます 連想した戦争カメラマン、一ノ瀬泰造やロバート・キャパはあのニコンでした
  • 母の落書き。 - 言葉と記憶の小径。

    母がグループホームに入居して1年半になるころ、コロナがまだ大きな騒ぎになる前のことだ。 グループホームとは、認知症の症状を持ち、病気や障害で生活に困難を抱えた高齢者が共同生活する施設のこと。幸い、家からそう遠くないところに入居できたので、週に3回ほど顔を出すことができた。家に連れてきたり、家族が一緒であれば、外出もできる。そうすることで、母の気持ちも少しは落ち着くのだった。 施設の部屋に行くときには、ちょっとしたおやつを持参する。必ず一緒にべる。おやつを預けたまま帰ると、どこかにしまってしまい、そのまま忘れてしまうからだ。バナナを置いたまま帰ってきてしまい、布団の下に隠して忘れてしまって、そのまま腐らせたことがあった。施設からも注意を受けた。 部屋に入ると私の顔よりも先に、おやつの入った袋にちらっと目をやる。袋をのぞきこむ。今日は何をくれるのかなあ、という子どもみたいな顔になっている。お

    母の落書き。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/06/12
  • そこにいない人に向かって。 - 言葉と記憶の小径。

    一人称で書くことを、きちんと学びたい。そう思っていた矢先、取引先の方から「ブログをやってみたら」とアドバイスをいただいた。2005年のことである。「ブログ」など初めて聞く言葉であり、操作のいろはもわからないまま、右往左往しながら始めることになった。 どんな仕事の世界でも、仮に10万字に1字の誤りがあっても、大きなリスクを抱えてしまう。しかし、ネットの世界では、多少の誤字脱字があっても、すぐに訂正でき、削除も瞬時にできる──こんな世界が身近にあったことに驚いた。これなら気軽にできそうだ。出張の多かった時期でもあり、仕事の記録も兼ねることにした。以来、気の向いたときに書き記し、以来、20年以上も続けるなど、当時は考えもしなかった。 1700を超える記事を編み直している。当たり前のことだが、書くときには、読む人のことを考える。読んでくれる人は、不特定多数ではなく、いつも「一人」と決めている。 す

    そこにいない人に向かって。 - 言葉と記憶の小径。
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    koppasan 2024/06/07