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ナナちゃんとバナナ。 - 言葉と記憶の小径。
ヤシやニッパの葉で屋根を葺き、竹のアンペラを壁にした小さな高床の家がナナちゃんの家である。なかは... ヤシやニッパの葉で屋根を葺き、竹のアンペラを壁にした小さな高床の家がナナちゃんの家である。なかは6畳ほどの広さで、家具らしきは一つもなく、少しの鍋や食器が部屋の隅に置かれ、壁には額装されたキリストの絵が1枚。家族6人がここで寝食をともにしている。 フィリピン・ネグロス島はかつて「飢餓の島」であった。1984年、砂糖価格が大暴落。大地主制度のもとで自ら栽培する作物も選べない多くの農業労働者とその家族は、飢餓線を彷徨った。その数は15万ともそれ以上とも伝えられている。 農地改革は遅々として進まなかった。相場が不安定な砂糖の代わりにバナナの栽培が盛んになったが、農園はアメリカの大企業や日本の商社に寡占され、大地主はさらに安定した収入を獲得し、農業労働者との経済格差は一層拡大していく。 ナナちゃんは6歳だった。父親も母親も農園で働く労働者である。村では、大半の子どもたちが学校にも行けないままで、世