そういう蔑称(最初からさげすみのニュアンスを含んでいるくくり言葉)は使わないことにしている。 表現の自由戦士とか。もちろんウヨとかパヨとかチャンコロとかも。 そういう言葉が使われた意見は、その時点で「私はものごとを色眼鏡で見ています。この論評には客観性がなく、偏っています」と自ら宣言しているようなものだと思う。 そんな意見に説得力があるだろうか? それに賛同するのはせいぜい「同じ色眼鏡をかけている人々」だけだよね。 同じ意見の仲間にしか共鳴せず、意見を異にする集団に対しては反感しか生まないような言葉で、果たして建設的な議論なんて成立するだろうか? もちろん私とて、意見を異にする人に対する反感はある。 でも、そういう個人的な感情はいったん棚上げして客観的に問題の本質を掘り下げられるのが理知的な人物だと思う。 私は理知的な人物と思われたいし、なりたい。 なので私は使わない。