本来、「非モテ」については、その「非モテ」内部から語られ、立ち現れてしかるべき論理(あるいは救済)が、「モテ」という外部の論理(あるいは救済)で語られていることと混雑していることが、このコンフリクトのそもそもの原因ではないだろうか? そして、「論理」に対して不用意にあまりに不用意に、無自覚にあまりに無自覚に「感情」が持ち出されるにいたっては、そこにコミュニケーション・デバイドの暗い影が差しているという他はない。 だが、まずは投げないことが肝要である。 そもこちらの精神の奥底には、「裏切り」への耐性など十二分に用意されているのだ。 いまさら騒ぐようなことではない。 が、惜しい。実に惜しい。否、口惜しい。 さても、しかし、である。 私が以前に書いたこのエントリを端緒として形成された*1、ひとつの概念へ、そろそろその短い寿命の潰える時を宣告しなければならない時期なのではないかと思うのである。 そ