タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/kmizusawa (47)

  • kmizusawaの日記

    再公開はありません。

  • http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20080604/p1

  • ご挨拶 - kmizusawaの日記

    はてなポイントと一緒に気遣いのメッセージをいただいたので(ありがとうございます)とりあえず近況を書いておくと、現在、このブログをはじめ、はてなブックマークや他ブログでのコメントなど、公開の場での発言・発信は一切停止しております。ここしばらくブログを更新しながら、ときどきいただく批判コメントやトラックバック等を参考にあれこれ考えた結果、「別に私が発言する必要なんてないんじゃないか」という結論に達しました。私はもともと「伝えたい」とか「共有したい」という感覚があまりなくって、書きたいことがメモ的に書ければいいので(長文になるのはただの癖)。また、表面的には個別のエントリ内容への批判の形で、事実ではないことや勝手に思い込まれた意図を前提に、まったく関係ないところに政治的スタンスを持ち出されたり人間的な信用を貶められるような道徳的な批判を何度もなされることにうんざりしたというのもあります。私自身は

  • クリリン発動しまくり - kmizusawaの日記

    「いいな」と思ったので、まあちょっと乱暴な言い方ではあったけど「女だね〜」と言った。そうしたら。「髪の毛長くないと女じゃないの?」と噛みついてきた女性がいたわけで。知らんよそんなの。なんでこう誰かをいいなと思ってなんかかんか言ったときに、それを相対評価としてだからどうだと出てくるヤツがいるんだよ、って感じ。ふむふむふふふんふん - S嬢 はてなここ読んで、あーこれ私もやってたかもなと思った。そういうこと言っちゃうとこあるんだよな。よくないよな。誰にともなく謝りたくなった。なんかな、女性による「こういう女にはうんざり」「こういう女がいて嫌だった」的な事例って、「あー私」と反射的に思っちゃうのが多いんだよな。男性による「こういう女は」は、恋愛対象として、性的対象として、パートナー対象としてどうか、自分たち男をそういう対象としてどう選別し、扱ってるかってのが入りがちなので、最初からそこにいない私

  • 私もそう思う - kmizusawaの日記

    石原都政に批判的な人々に今求められているのは、繰り言を言うのではなく、なぜ石原氏が支持されたのか、ということと、なぜ反石原氏の声は届かなかったのか、ということの考察であり、さらに言えば、反石原を説いてきた自分の論理の再検討ではないか。自分の論理の根幹を変える必要は当然ない。しかし少なくとも今やそういう論理は少数派になりつつあり、少数派としてどう主張していくのか、ということを考えなければならないはずだ。反石原の論陣を張る者にとって今必要なのは石原都政の継続を選択した東京都民批判ではなく、むしろ石原都政を継続させた反石原陣営の総括である。東京都知事選の結果の感想 - 北条時輔ファンサイトとりあえず左派の人は、現実の「世間」に対して行動するなら、自分たちがもはやほとんどの人にとっては蛆虫以下の気持ちの悪い存在、もしくはカルト宗教団体以下の危険物でしかないということを自覚して行動したほうがいいかも

  • 踏みつけることを正当化したい、改める気のない者ほど、指摘されると相対化したがり、著名人の言葉を引き合いに出したがる。 - kmizusawaの日記

    以下略。自分も気をつける。・・・・・・・・・と思ったけどちょっとだけ。人間誰しも完全無欠の聖人ではないのだから偏見や差別心は多かれ少なかれあるだろうし、何かの拍子にそれが出てしまうこともあると思う。売り言葉に買い言葉、感情的になって言わなくてもいいことを言ってしまうこともあるだろう。でもだからって、その偏見を正当化し続けるのはどうかと思う。その揺るぎのない確信っていったいどこから来てるんだ? もちろんそれが「差別」かどうか傍から見れば微妙なことというのはあるし、そんなつもりで言ったんじゃないのに「お前は差別している」などと言われて気持ちのいい人はいない。やり取りの中で相手だって不愉快なことを言ってる場合もある。それでもそこの言動からうかがわれるのは差別意識・偏見・侮辱だろとしか言えないようなことはある(少なくとも私の価値観においてはある)。厳密に学問的に言って差別とはどういうことかってのと

  • 必要な配慮を求めることは言い訳とは違う - kmizusawaの日記

    障害者であることを言い訳に使う人について前のほうのエントリで何度か書いたが、だからといって障碍(もしくは広い意味でのハンデ)があることを理由に配慮を求めてはいけないということではない。障碍に限らずその他のマイナーな属性全般について言えることなんだけど、状況を改善するために自分の事情を話して配慮を求めたり(もちろん言い方は大事)代替案を出したりというのはとがめられることじゃないと思う。例えば皆で事に行く計画を立てるとき、魚介類にアレルギーのある人(もしくは単に「苦手」でも)があらかじめ自分は魚介類がダメだから魚介類メインじゃないところにしてもらえるとありがたい(もしくは代わりのメニューを出してもらえるところ)と配慮を頼んでおくのは失礼なことでもずうずうしいことでもなんでもない(ついでによさげなお店の紹介があったりするとなおよい)。むしろ何も言わないでいてお店で事が出てきてから「実はべら

  • 柳沢関連発言について - kmizusawaの日記

    柳沢大臣発言に対して強く批判してない人や野党議員の動きに批判的な人を「柳沢擁護派」として見識の低さを批判するエントリってのを若干見かけたんですが、そんな風にまとめちゃうのもどうかと思う。この問題に関してあちこちブログ等を見て思ったのは、まず「問題だ」と感じられている部分が人によって違うということ。私自身いろんな思いがある。ひとつだけではなくいくつかの視点で見てる人もいるだろう。 言葉自体が問題系・「機械」に例える自体が論外。不愉快。非常識。(個人的感覚としては気にならないが理性で考えて非常識というのも含む)・女性を「産む機械」とする発想が不愉快、論外、非常識。・女性に失礼である。・「産む」ことばかり強調するな。・なぜ女性だけが言われるのか。(女性だけでは子は作れない) 大臣としての資質の問題系・(それ以外の発言にも触れて)女性に頑張ってほしいと言う前に厚生労働大臣としてやるべきこと、言うべ

  • 「リベラル派や一般市民がバッシングを黙認している」 - kmizusawaの日記

    ■「リベラル派や一般市民がバッシングを黙認している」 http://watashinim.exblog.jp/4517393/ 非常に耳の痛いご意見である。そういうところも確かにあるっつーか、いちいち反論・批判するのも疲れる→勝手に言わせとく→はびこる、ってのはたしかにあると思う。 ただこういった「自分にとって問題があると思われる勢力がはびこってるのは黙ってる(黙認している)人が多いせい」理論には違和感を覚えるのも正直なところ。世の中常に多いのは何も言わない人たちである。何も言わない人が多いのは同じなのに、特定の言動をとる一派が力を持ったり持たなかったりする。ジェンフリバッシングにしても、以前はバッシング側に対して非難・反論する人が多かったかといえば…あんまり変わってないんじゃないかなあ。黙ってる人がどうかと言うより、匿名で発言できる場など以前より「ヤバイこと」が言いやすいような環境ができ

  • 図書館の民営化&図書館はなんのためにあるのか - kmizusawaの日記

    ぶっちゃけ私は利用者にとって使いやすいなら公立公営でも公立民営でも公立で一部民間委託でも、運営形態はなんでもかまわないと思う。ただ民営だと経営が厳しい場合どうしても撤退ということが出てくるし、指定管理者制度の場合は数年ごとに見直しがあるから長期的な事業プランは立てにくいだろう。長期的な計画立てても2年後に他の事業者と交代させられたら意味がない。それにコスト削減が叫ばれている昨今、人件費の切りつめが行われ、司書は全員パートや派遣、それも必要最低人数だけを確保してあとはボランティア、それで利用者の要望に沿って24時間(は極端としても12時間とかは普通にありそう)開館とか、そういったぎりぎりの運営が行われることも予想される。受託者や彼らに図書館を託す行政のエラい人に図書館の役割や仕事についての見識があればいいが、そうでない場合(マジに図書館員の仕事は貸し出し返却と棚整理だけだから暇で楽だと思って

  • 「誰それさんの発言に傷つきました」と言っちゃう問題とそれを問題にする問題 - kmizusawaの日記

    それは「女性の自己表現」を推進するフェミニズムのせいだ!それは「私はこう感じました」というような「I(アイ)メッセージ」を推進するアサーティブコミュニケーション(←知らない人は「アサーティブ」とか「アサーショントレーニング」とかでぐぐってください)推進派のせいだ!それは自分の権利だけを主張するように教え込む戦後民主主義教育のせいだ!若さゆえの過ちだ!ゲーム脳だ!日教組の陰謀だ! …とかなんとか言ってすませたくなるくらい、はっきり言ってどうでもいい感じ。それが犯罪を構成したり職場で隣の席に座っててどえらい迷惑とかいうのでない限り、人がどういうコミュニケーションの仕方を選ぼうが、どんな具合に自意識を垂れ流そうが、言われたことに反応しようが無視しようが言訳して墓穴を掘ろうが、認識がゆがんでいようが、開き直っていようが、コメント欄を閉じたりブログ閉鎖したりしようが、都合の悪いコメントを鬼のように削

  • 「日教組に要注意」 参院自民が顔写真で周知徹底 - kmizusawaの日記

    ■「日教組に要注意」 参院自民が顔写真で周知徹底 http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611170325.html 「5人組に要注意」 参院自民党は、民主党の輿石東、佐藤泰介、神美恵子、水岡俊一、那谷屋正義の5氏の日教組出身議員の顔写真とプロフィルを記したA4判の紙を大量に印刷し、国対委員長室に積んだ。 教育法改正案は衆院通過が当初の参院執行部の想定より1週間ほど遅れたうえ、野党が審議拒否する「荷崩れ」状態で、審議日程は綱渡り。今後、野党が審議に復帰しても、ささいな問題が審議の遅れにつながりかねない。 日教組出身の5人は、特に法改正には強い抵抗があり、国会の外では「同志」がのぼりを立てて抗議行動を続けている。論戦では自民党の厳しい日教組攻撃も予想されるが、局面によっては現実路線を重視した対応をとるキーパーソンにもなりうる。矢野哲朗参院国対委員長

  • レベルの低いサヨク脳は勝手に妄想をつむぐ(註:自分のこと) - kmizusawaの日記

    ■レベルの低いサヨク脳は勝手に妄想をつむぐ(註:自分のこと) 死なないで:いじめ・救いの手どこに 「いじめる方が悪い」 中高生は半数以下 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061107ddm041040166000c.html 優しい心で人とつながる方が心地よいということに気づいてほしい そんな風に人とのつながりを信じたり優しくしたりしたいと思っている者から順に潰されていく世界で、こんな言葉は何の意味も持たない。今や「優しい心」などというのは、残念だが生き抜くためにはマイナスの要素でしかない。そんな世の中を大人たちが作ってしまった。「いじめ」は昔からあったのにそれに対してろくな手立てもせず精神論ばかりでここまできてしまった。「優しい心」などと言っていられる大人は、すでにいじめられないだけの地位や場所(もしくは何かあっても誰か

  • 生活費数万円、突然の解雇予告 偽装請負のメーカー工場 - kmizusawaの日記

    ■生活費数万円、突然の解雇予告 偽装請負のメーカー工場 http://www.asahi.com/national/update/0731/TKY200607300432.html仕事に不満があっても実際に声を上げることはほとんどない」と請負会社の元幹部。 別の請負会社幹部も皮肉を込めて語った。「最近の若者は、実力主義を『時給が100円高くなる工場へ移ること』と、はき違えていたりする。一生こんな賃金で使われ続ける彼らの将来は大丈夫かねえ。我々にとってはありがたい存在だけど……」 …… これら請負会社だけを責めても仕方のないことだろうが、なんか以前で読んだ、風俗で若い女性を相手に思う存分満足したあと「君のような若い子がこんな仕事をいつまでもしてちゃいけないよ」と今やったばかりの風俗嬢に説教するオヤジを連想しました… 「こんな賃金で」とか言うなら賃金上げてやればいいじゃん。 会社側にも

  • ボランティアでいいだろうとか - kmizusawaの日記

    ■ボランティアでいいだろうとか 私は雇用とボランティアとは来競合するものではなく、おそらく共存できるはずだし、お金を貰って働く仕事もボランティアもそれぞれに尊敬されるべきであると思っている。でも今の行政のボランティア導入を見てると、もちろん予算の関係もあるだろうけど、なんかこう「こういう仕事はボランティアで十分」「ボランティアでもやりたいという人がいてシメシメ」みたいなノリを感じることがあるんだよね。やる気のある市民がただでやってくれるっていうんだから金かける必要ないじゃないか、みたいな。 もちろんお金は無尽蔵にあるわけじゃないからそこは工夫でボランティアとか、来は正職員がやるべきなんだろうけどあまりの忙しさにアルバイトを雇ってしのぐとか、いろいろ事情はあると思う。行政職員だってなんだかんだで減っていってるわけだしなー。 でもそうやって最初は苦肉の策だったアルバイトやボランティア導入が

  • ひとを黙らせるためのロジック - kmizusawaの日記

    ■ひとを黙らせるためのロジック 小学生の頃、誰かがうっかり憶測で他人の批判をしたりすると、それに対して「いつどこで何年何月何日何時何分何秒にそんなことがあったのか証明してみろ」とか嬉々として言う子が必ずいた。つうかそういう言い方が流行っていた。 悪口を言う人間を黙らせるにはいい方法ではあると思う。でも嫌らしい方法だと今は感じる。 そういうことを言う子って、どんな場合でもそういう論法でひとを問いただすわけではない。使うのは相手が言っていることにむかついたときとか、黙らせたいときだけだ。 そういう類のロジックが今でもあちこちに溢れている。それは決して「公平」な態度でも「客観的」な態度でもない。 Permalink | コメント(3)

  • 体制維持に利用される女性学、もしくはバックラッシュ論争なんて業界の人にしか関係ない - kmizusawaの日記

    ■体制維持に利用される女性学、もしくはバックラッシュ論争なんて業界の人にしか関係ない http://d.hatena.ne.jp/serohan/20060706#p2 http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/263.html http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20060706/1152164096 http://d.hatena.ne.jp/discour/20060706 フェミニズム、女性学、女性運動…こういったエントリを読んで改めて思うのは、フェミニズムにとって最大の失敗は、一部の人たちだとしても行政と安易に手を結んだことだろうなということだ。 私は特に「女性学」を学んだわけでもなんらかの「運動」に関わっているわけでもない、自分が生きて物事を見ていく上でフェミニズムや女性学が提示しているものの見方や考え方を採用しているというだけの

  • 「自然」なことを「教育」するとは - kmizusawaの日記

    ■「自然」なことを「教育」するとは 「愛国心」やそれに準ずるようなことを教育関係の法律や条例に書き込むことについて、推進する側はしばしば「愛国心は自然な感情だ」と言い、反対する側は私も含めて「自然なことならわざわざ「教育」する必要はないではないか」と揚げ足をとるわけだが、それはもしかしたら見当外れの批判ではないか、とふと考えた。 ほらよく言うじゃないですか、「自分から進んでお手伝いのできる子になろう」とか「言われなくてもやれるようになろう」とか。 「愛国心」は自然に湧き出てくるものだと言う推進派の頭の中では「愛国心は来自然な感情だがそれが阻害されていたり上手く発揮できなかったりすることがあるので「教育」して「自然に」発揮できるようにすることが大切だ」というようなことになっているのではないか。「教育」の結果、あとは何を言われなくても「自分から」「自然に」国への愛情を態度で表明できるようにな

  • 保護者会の朝、何が 奈良・高1逮捕 - kmizusawaの日記

    ■保護者会の朝、何が 奈良・高1逮捕 http://www.asahi.com/national/update/0622/TKY200606220579.html すぐに「心の闇」とかに持って行きたがるマスコミの報道だけで言うのもなんだが、中学までは頑張って勉強して優等生でいられたのに高校になったらついていけなくなったというパターンだろうか。中学までは成績よかったのに高校に入ったらダメになったという人ってけっこういると思う。つうか私がまさにそれ。中学までは授業をきちんときいて教科書を読んで宿題と予習復習やってたらそれなりの成績取れるけど(たまにそこらはしなくても授業聞いてるだけで取れる人もいる)、高校は徹夜で詰め込み暗記ができれば点数とれたり、要領よく山かけが出来る人が…みたいなところあるじゃない? 今までクラスで1番2番、だったのが、いきなりビリから5人目、とかになったら(←これは私の例

  • サッカー好きフェミニストの自己矛盾、私の場合 - kmizusawaの日記

    http://blog.livedoor.jp/feminem/archives/50223185.htmlああこの感じはわかるなあ。サヨク的な価値観だとか政治的立場だとか普段の主張だとかフェミニストとしてのものの見方が邪魔して、好きなのに心から楽しむことが難しいっていう。私は日本代表の試合はテレビ中継で見るが、君が代は聞きたくないなあと思っているので、聞かなくてすむように、放送時間の最初の5分か10分くらい(場合によってはもっと)はテレビをつけない。そしてテレビをつけたときには試合はすでに始まっていたり…orzほかにも、現代サッカーとグローバルな資主義のご親密な関係とか、サッカーの応援とナショナリズムや暴力の問題とか、男子サッカーと女子サッカーではマスコミの注目度がぜんぜん違う問題とか、フェミニストとしては男子サッカーなどには目もくれず女子サッカーを応援すべきではないのかとか、スポーツ