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ブックマーク / hellomate.tea-nifty.com (12)

  • アフガンとイラク - FAIRNESS

  • 「政権担当能力」というテンプレ - FAIRNESS

    どうやら、外交における「政権担当能力」というのは「米国(の特定政府)の意に沿わぬことはしてはならぬ」を意味するらしい。 たいした能力である。 しかし、そのような前提ならば「能力」などは必要ない。 どんなに無能力でも「これまでと同じように言われることに従うこと」位はできるだろう。 「能力」が必要とされるのは 一見対立する「困難」な現状があり、そこから妥当な結果を引き出そうという時だ。 少なくとも、これまでの政権担当者はそのような困難を避けていただけなのだから、「政権担当能力」があったわけではない。 「政権担当能力」を問われる事を避けることで「政権」を担当(維持)していたと描写する方が似合っている。 沖縄の基地問題。 グアムへの移転問題。 MD戦略問題。 莫大な借金を抱えているから社会保障費を削り、消費税を上げたいといいながら、「安全保障」の「錦の御旗」を振りかざせば、なんら費用対効果を省みる

    「政権担当能力」というテンプレ - FAIRNESS
  • 与党の現実、野党の現実 - FAIRNESS

  • 安倍さんの進退 - FAIRNESS

  • 埼玉県知事の発言 - FAIRNESS

    埼玉県知事の「自衛官は人殺しの練習をしている」発言が問題になっているようだ。 この発言が問題になった後に、その解釈は誤解で有るという事を示そうとした「『殺傷』なら良かった」との発言もまた同様に問題になっているという。 自衛隊の位置付けについては様々な見方があり、自衛隊の存在に否定的な立場からこのような表現がされることはあるかもしれないが、文脈から見る限り必ずしもそのような立場からの発言でもなさそうだ。 どうも何かを「わかりやすく」説明しようとした結果だとの事らしい。 抽象の仕方、その表現のしかた、TPOの問題なのだと思う。 自衛隊の任務は多様であり、災害救助をはじめ、平時には様々な活動をしている。 もちろん、有事の際にそれを使用する使用しないはともかく、それを想定した今回問題になった「殺傷」能力を維持する事もそこに含まれるだろう。 おそらく然るべき場で、専門的な自衛隊の装備の話にでもなれば

    埼玉県知事の発言 - FAIRNESS
  • 気がついたら変っている - FAIRNESS

  • 「核武装の妥当性」の議論の妥当性 - FAIRNESS

  • 偏見 - FAIRNESS

    感覚的な私は良く数学屋のめがねの秀さんのblogで論理についての概念を勉強させてもらっているのだけれど、その秀さんが珍しく感情のバイアスの掛かった記事を書かれていて、さらに、これもまた良くお邪魔する瀬戸さんのblogも多少関わっていたので気を揉みながら推移を見守っていた。 その後、秀さんは自らの誤りを認め、今もその誤りについて考察を続けている。 その考察は秀さんのものでありそれはそれでまた参考にさせていただきたいが、私は私でその後、自分に照らし合わせてしばらく考えこんでいた。 そこでの題材はフェミニズムであったが、それは「偏見」「差別」の話でもあるのでその事について感じたことを書いてみたい。 自分が直接関係していないと感じている偏見・差別(例えば白人と黒人の間に見られるものなど)に関しては気がつく事も理性的でいることもそれほど難しい事ではない。 その付属的なものとして、例えばアメリカ人が時

    偏見 - FAIRNESS
  • 共謀罪再び - FAIRNESS

  • 理解 - FAIRNESS

    私たちは複合社会にあってそれにウンザリしているのかもしれない。 一つの視座(レイヤー)から捉えた世界で良いと思った結論をいざ実行してみると、思わぬ結果が待ち受け、それに打ちのめされる事でもう一つの視座(レイヤーが確かにあることを思い知らされるといった事は良くある。 その視座を考慮に入れてまたその新たな世界で良いと思った結論を実行してみてもまた同じ。 何かを立てれば何かが立たず,全てを立てようとすれば身動きができなくなってしまう。 だからどうしてもシンプルで分かりやすいもの,明確なものに惹かれてしまう。 物事を分かりやすくするには他のレイヤーを見ない事だ。 そこにはほぼ明確な正解がある可能性は高い。 そして,そのレイヤーにとどまる限り誰もそれを否定できない。 論理的に「自明」とする事も可能かもしれない。 迷わず行動する「だけ」ならばそれが良い。 レイヤー同士の互いの作用(関係性)が物事を複雑

    理解 - FAIRNESS
  • 延命処置の中断 - FAIRNESS

    射水市民病院で入院中の回復の見込みの無い患者の延命措置が中止され7人がなくなっていたというニュースがあった。 この出来事はまだどのような経緯で、外科部長が何を思ってこのような行為に及んだか、どこに違法性があるかが明らかではないのでこの出来事に特化して書くことは差しさわりがあるけれど、この出来事は私からそんなに遠い話ではないと思うので少し書いてみる。 私もそんな場面につい最近出会ったことがある。 介護している母が誤飲誤嚥性肺炎を引き起こし入院した際に最初に医師に確認されたのが、もしもの場合に「延命治療」を施すかどうかだった。 医師が言うには一度延命処置を選択したならば、それを途中で止める事は困難になるとのこと。 症状が現れ、家族(私)が異常だと気付き、救急車で運ばれ、めまぐるしく状況が変わる混乱の中にあって、その選択を迫られるまでの時間はそれほど長くない。 「生きてほしい」という思い、その逆

    延命処置の中断 - FAIRNESS
  • 戯れ - FAIRNESS

    確かに世の中いろいろなことがめまぐるしい。 身近なことも身近でないことも。 ひとつのことに注目している間にその一方で以前注目していたことが遠い過去のことであるかのように忘れ去られていく。 注目されなくなったかったからと言って、それが経験として何らかの検証・結果をそこに残したというわけでもなく、そのことが「今」身の回りに影響を与えてないと言うわけでもないのだが視野から抜け落ちていく。(つまり合理的でも,プラグマティックでもない) 偽装メール事件は直接的には耐震偽装、ライブドア、BSEを風化させ,間接的には小泉政権への検証を風化させた。 「イラク」は今まさに混乱の中にあるにも拘わらず,あたかも「無い物」であるかのように扱われ,それに伴う自衛隊撤退やその延期への関心も風化している。 そうこうしているうちに次はイランだ。 そのイランも風化するとかそういう問題以前に偽装メールのようなどうでも良い「関

    戯れ - FAIRNESS
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