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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (5)

  • 日本イデオロギー論 (戸坂 潤)

    二 「文献学」的哲学の批判「唯物論研究 第二九号」1935(昭和10)年3月 三 「常識」の分析「唯物論研究 第二八号」1935(昭和10)年2月 六 ニッポン・イデオロギー「歴史科学 三巻七号」1934(昭和9)年4月 七 日倫理学と人間学「歴史科学 四巻一号」1934(昭和9)年12月 八 復古現象の分析「改造 五月号」1935(昭和10)年4月 九 文化統制の質「行動 五月号」1935(昭和10)年5月 一〇 日主義の帰趨「経済往来 五月号」1935(昭和10)年4月 一一 偽装した近代的観念論「唯物論研究 第二四号」1934(昭和9)年10月 一二 「無の論理」は論理であるか「唯物論研究 第六号」1933(昭和8)年4月 一三 「全体」の魔術「唯物論研究 第一八号」1934(昭和9)年4月 一四 反動期に於ける文学と哲学「文芸」1934(昭和9)年 一九 自由主義哲学と唯物論

    日本イデオロギー論 (戸坂 潤)
  • 坂口安吾 二合五勺に関する愛国的考察

    元和寛永のころというと、今から三百二三十年前のことだが、切支丹(キリシタン)が迫害されておびたゞしい殉教者があったものだ。幕府の方針は切支丹を根絶しようというのだが、みんな殺そうというのではないので、転向すれば即座にかんべんしてくれるのだから、ひところの共産党の弾圧よりもらくだ。転向してもまだ何年か牢屋に入れておくということはやらぬ。そのかわり転向しないと必ず殺す。懲役二十年、十五年などとこまかく区別はつけず、例外なしに殺すのだから、全部か皆無か、さっぱりしていて、われわれの常識では、もっとも大いにあっさりと転向したろうとおもうと、そうではない。何万かの人間がもっとも大いによろこんで殺されたというから、勝手がちがうのである。 この殺しかたにもいろいろとあって、はじめは斬首であったが嬉々として首をさしのべ、ハリツケにかければゼススさまとおなじ死にかただと勇みたつ始末だから、火あぶりにした。苦

  • 有島武郎 惜みなく愛は奪う

    Sometimes with one I love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love; But now I think there is no unreturn'd love―the pay is certain, one way or another; (I loved a certain person ardently, and my love was not return'd; Yet out of that, I have written these songs.) [#右寄せ]-- Walt Whitman -- I exist as I am―that is enough; If no other in the world be aware, I sit content, And if eac

  • 芥川龍之介 玄鶴山房

    ………それは小ぢんまりと出来上った、奥床しい門構えの家だった。尤(もっと)もこの界隈(かいわい)にはこう云う家も珍しくはなかった。が、「玄鶴山房(げんかくさんぼう)」の額や塀越しに見える庭木などはどの家よりも数奇(すき)を凝らしていた。 この家の主人、堀越玄鶴は画家としても多少は知られていた。しかし資産を作ったのはゴム印の特許を受けた為だった。或はゴム印の特許を受けてから地所の売買をした為だった。現に彼が持っていた郊外の或地面などは生姜(しょうが)さえ碌(ろく)に出来ないらしかった。けれども今はもう赤瓦(あかがわら)の家や青瓦の家の立ち並んだ所謂(いわゆる)「文化村」に変っていた。……… しかし「玄鶴山房」は兎(と)に角(かく)小ぢんまりと出来上った、奥床しい門構えの家だった。殊に近頃は見越しの松に雪よけの縄がかかったり、玄関の前に敷いた枯れ松葉に藪柑子(やぶこうじ)の実が赤らんだり、一層

  • 芥川龍之介 神神の微笑

    ある春の夕(ゆうべ)、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣(ほうえ))の裾(すそ)を引きながら、南蛮寺(なんばんじ)の庭を歩いていた。 庭には松や檜(ひのき)の間(あいだ)に、薔薇(ばら)だの、橄欖(かんらん)だの、月桂(げっけい)だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽(かす)かにする夕明(ゆうあか)りの中に、薄甘い匂(におい)を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日(にほん)とは思われない、不可思議な魅力(みりょく)を添えるようだった。 オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径(こみち)を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬(ロオマ)の大山(だいほんざん)、リスポアの港、羅面琴(ラベイカ)の音(ね)、巴旦杏(はたんきょう)の味、「御主(おんあるじ)、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛(

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