しょうがねえなあ。電話での取材依頼時は、そんな感じだった。 「駅で待っとくよ。すぐにわかる」 1997年晩夏。長崎へ向かった。 諫早駅に到着。待合室へ。九スポを広げ、プロレス記事を読む大男がいた。原さん、どうも。 「おう」と、ぶっきらぼうな第一声。でも、わくわくして待っていてくれた。ラグビーの話がしたくて、したくて、たまらなかった。一緒にいた2日間、ラグビーのことを喋り続けた。 2015年4月28日。原進(はら・すすむ)さんが亡くなった。元日本代表プロップで、のちにプロレスラー「阿修羅原」として活躍した屈強な男は、肺炎をこじらせて息をひきとった。雲仙の病院で旅立った。68歳だった。 実際に会ったのは18年前の取材時だけだ。しかし何度か電話で話したり、取材の2日間、常に行動をともにしてくれた諫早農業高校時代の後輩の方との付き合いが続いたから、縁はつながっていた。ちょうど1年前に諫早を訪れた際