横浜随一の老舗バー「山荘」(横浜市中区野毛町)のマスター黄(こう)野(の)長康(ながやす)さんが3日に死去していたことが分かった。91歳だった。野毛界隈(かいわい)に詳しい生き字引として親しまれた。60年近く営んだ店を今月20日を最後に畳むことを決意した直後だった。 台湾生まれで戦後間もなく仕事を求めて来日。東京・新宿のすし店や喫茶店などで下積みを重ねて開業資金をためた。野毛に店を構えたのは、闇市から発展し、活気に満ちた雰囲気が気に入ったからという。 気さくな人柄で交友関係が広く、カウンターの席にいては初めての客や常連客と分け隔てなく談笑を楽しんだ。常連の一人、郵船ロジスティクスに勤める秦幸三郎さん(61)は「博識で達筆だった」としのぶ。「糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず」などと書いてもらった紙ナプキンが手元に残る。 長男の敏文さん(59)によると、3日に黄野さんの自宅に家族が集ま
横須賀サッカー協会は28日、地元選手を中心に構成する社会人チームの立ち上げを発表した。市町村にあるサッカー協会が運営する社会人チームは県内初で、全国的にも珍しい取り組み。地元サッカーのレベル向上や、スポーツ文化を通じた地域活性化が狙いだ。 昨夏のインターハイで、私立三浦学苑高校(横須賀市衣笠栄町)サッカー部が初優勝を遂げ、今年8月には、市立浦賀中学校(同市浦賀3丁目)サッカー部が全国大会に出場するなど、サッカー熱が高まっている。しかし、同協会の鈴木武俊会長は「高いポテンシャルを生かせる『集大成』ともいえるトップチームが横須賀には存在しない」と指摘する。そのため、能力を持ちながら高校卒業とともに進学や就職でサッカーをやめてしまう選手が多いという。新たなチームは、地域サッカーの受け皿としての役割を果たしながら、社会人の関東リーグ1部昇格を目指す。 日本サッカー協会の公認指導者B級ライセンス
9年ぶりのリーグ制覇を見逃すな-。J1横浜Mは30日、日産スタジアム(午後2時開始)で新潟を迎え撃つ。勝てば優勝が決まるホーム最終戦。歴史的瞬間に立ち会おうと、前売りチケットが飛ぶように売れている。クラブ関係者は「1日5千枚ペース。こんなことは初めて」とうれしい悲鳴を上げている。 急激に売り上げが伸び始めたのは、磐田に勝利して優勝に王手をかけた23日の夕方から。問い合わせの電話が相次ぎ、チケットの売り上げは26日午後6時現在で4万4406枚に上る。すでに指定席は完売し、今季最多の4万34人だった5月3日の鹿島戦を大きく上回りそうだ。 クラブが目指すのは2004年のチャンピオンシップ第1戦の6万4899人。特設ホームページを作成するとともに、横浜市内の商店街に計2500本ののぼりを設置して来場を呼び掛けている。 「踏ん張りどころで選手たちを後押ししてほしい。歓喜の瞬間を一緒に迎えたい」
猫のふん尿や鳴き声などが原因となるトラブルを減らそうと、横浜市は猫との共生を目指す環境整備事業に取り組んでいる。6月には「適正飼育ガイドライン」を作成。飼い主がいない野良猫や地域猫の問題についても、周辺住民などで協力して解決する取り組みを進めている。 ガイドラインでは、猫の習性や特徴、かかりやすい病気などを解説。トラブルを防ぎ、十分な世話ができるように原則、屋内飼育することとし、飼育に最後まで責任を持つ飼い主の意識の重要性を強調している。 飼育環境や費用などは飼育前に考えるべき項目として提示。健康管理や近隣住民との関係性についての注意点を盛り込み、避難用キャリーケースの準備、餌の備蓄といった災害時に備えた対応も記載されている。 野良猫や地域猫の問題については、自治会などが周辺住民の理解と同意を得た上で、ルールを作って適切な世話をする必要があるとしている。市では、飼い主がいない猫の不妊
ジャパン・ブルーに染まった観客席から大歓声が鳴りやまない。サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会アジア最終予選で4日、日本代表は5大会連続の出場を決めた。史上初めてホームでW杯切符をつかみ、その瞬間をピッチで味わった横浜市出身のDF栗原勇蔵選手(29)=J1横浜F・マリノス=は、W杯の舞台に立つ夢にまた一歩近づいた。 W杯出場を決定付ける笛を聞き、両拳を突き上げた。後半34分、投入された直後にまさかの失点。それでも同点に追い付くことを信じて体を張った。MF本田圭佑選手(26)がPKを決めても喜ぶことなく、自陣にすぐに引き返した。そして歓喜の時が訪れた。 「ピッチに立ててうれしかった。こんな経験はなかなかできない。監督に信頼されて使われたから、ゼロに抑えられたら良かったけど…。結果的に追いつけて良かった」 ザッケローニ監督が就任して以降、代表メンバーにほぼ呼ばれてきた。最終予選で
横浜市内を拠点に活動するアイスホッケークラブ「チームハセガワ」が、愛知県で今月初開催された社会人チームによる「第1回日本アイスホッケー連盟会長杯」で全国優勝を飾った。結成40周年の節目に成し遂げた快挙の原動力は「家族のような」絆だった。 大会には全国各地域の予選会を通過するなどした社会人の実業団・クラブ12チームが出場。関東代表のチームハセガワは、初戦の準々決勝で優勝候補の一角、青い森信用金庫(青森)と対戦し、接戦の末に5-3で撃破した。 続く準決勝は強豪の苫小牧市役所(北海道)を相手に終始ゲームを有利に運び、5-0で快勝。決勝でも勢いをそのままに、タダノ(北海道)を8-4で下した。 ◇ 神奈川に社会人初の戴冠をもたらしたチームハセガワの歴史は古い。 発足したのは40年前の1973年。ともに経験者である部長の長谷川清さん(69)、弟で総監督を務める伸さん(64)が中心になってメン
「とても幸せだったと思います」―。三浦市初声町下宮田の市立初声小学校に植えられている桜の木に、猫の写真入りの紙がくくり付けられている。14年以上、校舎の隅っこで暮らしていた「やよい」は、在校生に広く知られた猫だった。老衰だったのか、昨年8月7日に眠るように息を引き取った。風に揺れる1枚の紙が、今も子どもたちに命の尊さを教えている。 やよいは1997年ごろに同校に迷い込んできた。当時は生後半年程度の子猫で「ニャーニャー」と鳴きながら餌をねだり、そのまま敷地内にすみ着いた。 校門近くにある、弥生期の赤坂遺跡(同市初声町三戸)の出土品を管理する市文化財収蔵庫周辺が縄張りだったことから、「赤坂やよい」と名付けられた。 普段は、同収蔵庫で作業をしている発掘調査員や近くの主婦らが交代で餌をやっていたが、休み時間や放課後には缶詰を手に多くの児童が様子を見に来た。 「猫ってこんなにあったかいのか」
県内に押し寄せる最大級の津波の影響を調べている県津波浸水想定検討部会(部会長・柴山知也早稲田大理工学術院教授)は6日、最悪の場合、鎌倉市沿岸の浸水深(浸水時の水位)が10メートル超になるとの試算結果を明らかにした。三浦半島や横浜駅周辺でも、場所によっては6メートル以上になる危険性があるという。柴山教授は「浸水深が10メートルの場所は最低でも5階、できれば6階以上に逃げることが望ましい」とし、より踏み込んだ避難対策を求めた。 県は昨年11月、最大級の津波による浸水予測図(素案)を公開。静岡や房総沖を震源とする慶長型地震で鎌倉に波高14・4メートルの津波が押し寄せるとの試算結果を明らかにする一方、浸水深が深い場所については「5メートル超」と表現するにとどめていた。今年3月を目標とする予測図確定に向けた作業の中で、主な地域の浸水深を初めて公表した。 それによると、浸水深が10メートル超となる
震災がれき焼却灰の受け入れを目指す県の計画が、最終処分場の地元住民から猛反発を浴びている。放射性物質拡散への不安という反対論に隠れがちだが、住民には廃棄物処理施設をめぐる長年の行政不信もくすぶる。被災地を視察し現場の窮状を訴える黒岩祐治知事の熱意は、住民の現場感覚とかみ合っていない状態だ。 「知事にとって『地元』とは何を指すのか」。横須賀市西部の芦名地区で15日に開かれた地元説明会。芦名町内会の住民は、最初にこう切り出した。 「この問題に関心のある人、不安を感じる人すべてが地元と考えている」と黒岩知事。住民は「今後県民を対象に集会を開くというが、範囲が広がるほど芦名への理解は薄まっていく」と複雑な思いを口にした。 会場では被災地の窮状をビデオで上映。視察した知事は「現場にこそ真実はある。なんとしても復興に協力したい」と繰り返した。だが熱い訴えは空回り気味。説明会後、別の住民は「復興支
横浜市港北区で7月、男子学生が自転車で下り坂を走行中に歩道の縁石に衝突、その2週間後に死亡する事故があった。学生が乗っていたのは「ピスト」と呼ばれる競技用自転車で、両輪にブレーキがなかったことが事故原因とみられている。近年、競技用自転車は人気を集め、ブレーキを取り付けない愛好家もいるという。だが、両輪にブレーキを装備せず公道を走ることは道交法で禁じられており、県警は「命に関わる危険な行為。ルールを守ってほしい」と警告している。 7月30日午後7時50分ごろ、横浜市港北区日吉本町の市道の急な下り坂で、同区に住む大学院生の男子学生(22)がピストで走行中、丁字路交差点を曲がり切れずに歩道の縁石に衝突し転倒。脳挫傷などにより今月15日に搬送先の病院で亡くなった。 事故当時、現場は雨が降っていた。県警交通総務課によると、ブレーキが付いていなかったため、下り坂で増した速度を緩められなかったことが
横浜地裁で無罪判決を受けた男性(49)は通報者から一転、事故から約1年後に被告となった。 事故当日、車で仕事先に向かっていた。国道1号に入る信号機のない交差点で一時停止。未明の国道に、直進する車の明かりが見えたが、十分距離があると考え、左折した。直後、国道の対向車線にはみ出してトラックとぶつかる軽乗用車が見えた。男性はすぐに110番通報した。 警察から連絡があったのは事故の5カ月後。実況見分に立ち会った。左折時、軽乗用車と自分の車は100メートル以上離れていた、と何度も説明した。警察官は「よく考えて」と納得しなかった。みぞれ模様の悪天の中、現場の交差点で約2時間続いた押し問答の末、「自分から約50メートル右側で軽乗用車を見た」との調書が作成された。 男性の車は衝突していない。「まさか罪に問われると思わなかったので、警察官の言い分に折れた」と振り返る。その後、男性は調書などを基に進路妨
1~3日に開かれた「アフリカンフェスティバルよこはま2011」の実行委員長コフィ・エドウィン・マテさんらが12日、横浜市役所を訪れ、フェスで集まった東日本大震災のための義援金を寄託した。フェスは震災直後だったが「まさかのときの友こそ真の友」との意気込みで開催したという。 義援金はフェスの出展売り上げや音楽ステージなどで集められた50万8228円。イベントを後援した市を通じ、日本赤十字社に届けられる。コフィさんは市の口座に振り込んだ上で、目録を市APEC・創造都市事業本部の高橋和也事業本部長に手渡した。 2008年に横浜で開かれた第4回アフリカ開発会議(TICAD)を契機に始まったイベントだが、今回は大震災から20日後という日程に、開催への躊躇(ちゅうちょ)もあったという。 けれど「『今こそフェスを開いて、チャリティーをしよう』という思いもあった」というコフィさん。「横浜から広げよう、
放射線による農産物汚染問題を受け、市場関係者などに自主的な情報発信の動きが広がっている。販売先に必要な情報を整理して伝えることで風評被害の防止に役立てようという狙いだ。生産者と消費者をつなぐ流通の要として、安心感の維持に奔走している。 横浜市中央卸売市場本場(横浜市神奈川区)の卸売業者金港青果は、放射性物質の検出値などをまとめた資料を毎朝、仲卸や小売商の団体に配布している。 国や被災地の自治体が発表する情報を基に、産地や品目ごとに放射線検査結果を整理。「『安心』を数値やデータで示すことが風評被害防止の最善策」(福島秀平専務)として問題発覚直後から続けている。 レストランやホテルに野菜を納めるつま正(同区)も同様の資料を作成。配達時に荷と一緒に手渡していたが、刻々と変化する情報に対応するためホームページ公開に切り替えた。 小山正和営業部長は「産地名だけでレッテルが貼られている現状を改
福島、宮城両県の海洋高校の実習生を乗せた海洋実習船が、三浦市三崎の三崎漁港に緊急寄港している。戻るべき漁港が東日本大震災で壊滅的な被害を受け、入港できない。「救援物資を積んですぐにでも帰りたい」。故郷の変わり果てた姿が報じられる中、もどかしさを抱えながら、家族との再会を待ち続ける。 福島県立いわき海星高(いわき市)の実習生らが乗り込む福島丸(小名浜港)は15日夕、宮城県気仙沼向洋高(気仙沼市)などの実習生らが乗り込む宮城丸(気仙沼港)は16日夕に三崎漁港に着いた。いずれもハワイ近海でマグロはえ縄漁を終え、それぞれ母港へ帰る途中だった。 福島丸の船長、宮下隆さん(58)に地震発生の第一報が入ったのは11日午後4時。「最初はまた地震か、という感じだった」。日本列島から約1800キロ離れた洋上、海上保安庁の航海情報を受信した。史上最大規模のマグニチュード、巨大津波など思いも及ばなかった。
パナソニックが、旧松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ)の本社があった綱島地区を閉鎖することが13日、分かった。同地区は開設から半世紀以上の歴史があり、松下通信工業の実質的な創業の地。機能や人員を他拠点に集約させることで、事業の効率化や固定費削減につなげるという。 勤務するグループ会社の社員約1500人は3月末までに他の拠点に移る。 横浜市港北区綱島東4丁目の綱島街道沿いに立地し、敷地面積は約3万9千平方メートル。パナソニックモバイルが所有しているが、現在はシステム開発を手掛けるパナソニックのグループ会社が入居している。 綱島地区は1960年に開設。その2年前に大阪府に設立された松下通信工業の本社・工場を移転集約した。無線機や電話機など通信分野の機器開発などを手掛け、日本で移動体通信が始まった初期から携帯電話の「P」ブランドでグループの発展を支えた。最盛期には従業
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