ガーナ日記 @koichighana 香港からエチオピア航空の機体。落差にせっまってなる。機内食はまぁまぁおいしい。 waterのことワラーって言ったら通じなくて、隣のおばさんがウォーターって言い直してくれる。帰りたくなる。 pic.twitter.com/MRFkcZqaUQ 2016-09-10 00:55:18
リオデジャネイロ五輪、陸上男子マラソンのゴールで、頭上で腕を交差させるエチオピアのフェイサ・リレサ(2016年8月21日撮影)。(c)AFP/OLIVIER MORIN リオデジャネイロ五輪、陸上男子マラソンで銀メダルを獲得し、表彰台の上で写真撮影に応じる(左から)エチオピアのフェイサ・リレサ、金メダルのケニアのエリウド・キプチョゲ、銅メダルの米国のゲーレン・ラップ(2016年8月21日撮影)。(c)AFP/Adrian DENNIS
ファッションで世界を平和にしたいと願う世界一おしゃれなジェントルマン集団サプール(SAPUER)がコンゴから来日した。 FASHION HEADLINEでは、サプールメンバーに日本の文化や粋を体感してもらおうと「THE Sapuer FASHION Journey in JAPANと題して、東京・新宿でファッションシューティングを決行した。 カメラマンは、写真集『THE SAPUER ~コンゴで出会った 世界一おしゃれなジェントルマン』を撮影した茶野邦雄。 来日して早々、新宿の街を歩くサプール6人の姿は街ゆく人々の目を奪う。コンゴからの長旅、連日の取材やイベントで疲れているだろうに、にこやかに対応してくれる彼らは、平和を願い、人に優しくあることを誇りとするサプールのメッセージを自らのスタイルを通じて伝えてくれた。 思い思いにスタイリングした艶やかな、そしてエレガントな装いに身を包んだ彼らと
まさにアフリカからやってきた凄いテープです。ポコポコしたリズムボックスに乗せて、エレピとシンセベースが同じフレーズを繰り返し、アコーディオンがドラクエ3のピラミッドの面のようなメロディをピロピロと放出し続けます。全曲が上の2曲のような調子です。実にオウサム。 Hailu Mergiaさんは元々Walias Bandというジャズファンクバンドのメンバーで、70年代にはエチオピアンジャズのシーンで有名なヴィブラフォン奏者のMulatu Astatkeと一緒に共演していたような人物だそうです。そのWalias Bandがエチオピアの政治情勢の影響などあって解散し、その後、80年代前半に別のバンドを結成してアメリカツアーをした際に、ワシントンDCのスタジオで一人多重録音したのが、この不思議な音のアルバムというわけです。ライナーノーツによると、今は音楽業界からは足を洗って、空港でタクシーの運転手をや
奴隷貿易という究極の焼畑産業 今回はダークなテーマ「奴隷貿易」についてです。 奴隷貿易自体は古代から世界中のあらゆる地域で存在しましたが、それを主産業に据え、強力に推進したのは15世紀以降の西アフリカ諸王国でした。 彼らは近隣の王国に攻め入っては住民を引っ捕らえ、イギリスやスペイン、フランスに売却して武器などを買い取り、それを元にさらに奴隷獲得戦争に邁進していました。 売られた奴隷たちは南北アメリカ大陸に搬送され、プランテーション農園で働かされました。 西アフリカ諸王国は自分の肉を切って食うような行為を繰り返して栄えた挙げ句、結局列強に国を滅ぼされています。 彼らはなぜそのような、「究極の焼畑産業」に没頭したのでしょうか。 1. アフリカの伝統的な奴隷貿易 時代や地域によって異なる奴隷の概念 「奴隷のようにこき使われる」といった表現があるように、我々が「奴隷」という言葉を聞くと、 自分の意
(C)CHANO アフリカ大陸・コンゴのおしゃれな紳士達「サプール(SAPEUR)」の写真展「THE SAPEUR -コンゴで出会った世界一おしゃれなジェントルマンー」が西武渋谷店で開催される。期間は2016年3月29日(火)から4月10日(日)まで。 世界一おしゃれで優雅なジェントルマンと呼ばれる「サプール(SAPEUR)」。平均月収3万円の貧困な生活状況の中、フランス領だったこともあり、給料の大半をファッションにつぎ込んで、おしゃれを楽しむ彼ら。「無駄な争いで服を汚したくないのさ」という言葉に、装うことやファッションが、平和の維持に貢献しているんだと知ることができる。 (C)CHANO 本展では6つのカテゴリーを通して「サプール」達の粋なマインドと、着飾る特別な日が日常にある文化と暮らしを紹介。 50名以上の「サプール」を沖縄在住の写真家・茶野邦雄が撮り下ろした、初公開となる150
世界で過去5年間だけで15の紛争が勃発・再発し、暴力や地球温暖化による食糧危機によって家を追われた人々の数は急増している。この人々の強制移動は近年拡大し、UNHCR(国連難民高等弁務官)によると、2014年における難民の数は5950万人と過去最多だ。世界中で122人に1人が難民になった計算になる。 2013年の難民の数は5120万人で、1年間に増えた人数としても最多。この急増は2011年に始まったシリア紛争が要因だ。 シリア難民については、日本でも毎日のように報道されおり、よく知られているが、複雑な問題はほかにもある。シリア内戦からかなり前、そして現在も深刻な難民問題を抱え続けているのがアフリカだ。 アフリカにおける難民とは? 筆者はアフリカで合計8年ほど写真撮影をしてきた。私の脳裏には、これまで出会ってきた人たちの顔の幾つかが焼き付いている。 2011年夏、私が訪れていたソマリアとの国境
謎の独立国家ソマリランドと戦国南部ソマリア | ゲンロンカフェ http://genron-cafe.jp/event/20150930/ 世界はまだ「そこに行かなければ絶対に知りえない物事」に満ちている。高野秀行さんの著作に触れた人は、そのことを確信したはずだ。 『謎の独立国家ソマリランド』(amzn.to/1osfeyH )、『恋するソマリア』(amzn.to/1PS5T9Z )、8月26日発刊の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(amzn.to/1osfltX )と、現地の言葉を覚え、時にはあやしい覚醒植物をばりばり食べながら、ソマリ人と親交を深め、謎多きソマリ社会の解明をライフワークとしてきた高野さん。 続きを読む
セネガルの打楽器奏者ドゥードゥー・ンジャイ・ローズさん。セネガルの首都ダカールで(2010年10月4日撮影、資料写真)。(c)AFP/SEYLLOU 【8月20日 AFP】セネガルの伝統的リズムを現代に生かした打楽器奏者で「人間国宝」のドゥードゥー・ンジャイ・ローズ(Doudou Ndiaye Rose)さん(85)が19日、首都ダカール(Dakar)の病院で死去した。ローズさんのおいがAFPの取材に対し明らかにした。 しばしば「リズムの数学者」と呼ばれた同氏は、自らの子どもや孫などで編成されたオーケストラを指揮して、伝統的なビートの複雑なメドレーを演奏。アフリカで最も有名な音楽家の一人だった。 1930年7月28日、芸能者の家系「グリオ」に生まれた。ダカール中心部で過ごした子ども時代に聞いた、結婚式や洗礼式、割礼式で演奏される打楽器の音がその後の人生を決定づけた。配管工として働いていた時
アフリカのセネガル出身の世界的な打楽器奏者で、日本との友好親善にも貢献したドゥドゥ・ンジャイ・ローズさんが19日、亡くなりました。85歳でした。 その後、ンジャイさんは活動の場を世界に広げ、セネガルの人間国宝に認定されたほか、2006年にはユネスコ=国連教育科学文化機関の無形文化財に認定されました。 独特のリズムと躍動感あふれる音色が世界的に評価され、アメリカのジャズトランペット奏者のマイルス・デイビス氏やイギリスのロックバンド「ローリング・ストーンズ」など、さまざまなジャンルのアーティストと競演しました。 また、これまでに公演などで10回以上日本を訪れていて、2011年には日本とセネガルの友好親善に貢献したとして旭日小綬章が贈られています。 ドゥドゥ・ンジャイ・ローズさんの親族によると、ンジャイさんは19日、ダカールの病院で亡くなったということです。
vol.48 - お客様:上川大助さん(ロス・バルバドス) 【テーマ:俺のキンシャサ】 いらっしゃいませ。 bar bossaへようこそ。 今回は、渋谷のロス・バルバドスの上川大助さんをゲストにお迎えしました。 林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか? 上川;ノン・アルコールの、エルダーフラワーのやつ、お願いします。 林;フーゴのアルコールなしですね。かしこまりました。さて、早速ですが、お生まれと小さい頃の音楽体験を教えてください。 上川;1960年、目黒区の大岡山で生まれました。小学校入る頃、やっと家にテレビが来て、シャボン玉ホリデイっていう番組でクレイジーキャッツ見たり、当時流行ってたGSが最初に触れた音楽かな。初めて買ったレコードは、よく覚えていないけれど、確かスパイダース。 林;うわ、最初のレコードがスパイダース! 上川;そう。で、いつだったか、おふくろがどこからか蓄音機もらって
民族のアイデンティティと尊敬の心を大切にするマコンデ族。 8月から3ヶ月間、日本中で音楽&文化公演ツアーを開催します! 日本の皆さん、こんにちは。モザンビーク共和国のマコンデ族のミュージシャン、ナジャです。私は幼いころアフロルンバ・ミュージシャンの叔父に引き取られ、マコンデ族の伝統音楽やアフリカにある様々な音楽を生活と共に育ちました。 モザンビークのスラムに住む私たちにとって、他の国を旅するなんて夢のまた夢です。この3年間「モザンビークのいのちをつなぐ会」が何度も何度も音楽の助成に申請してくれ、今回初めて来日公演のための資金の一部が助成されることになり、またとないチャンスをいただきました!日本の色んな場所で音楽の演奏と、マコンデ族の文化を心をこめて披露します。 3年間あたため続けて、やっと手に入れた、念願の来日公演です。 自己負担金の一部を、どうか協力していただけないでしょうか。 (3年前
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