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ジェンダーに関するkotobukuのブックマーク (6)

  • 【性】ジェンダーの歴史:哲学ニュースnwk

    2011年07月02日18:00 【性】ジェンダーの歴史 Tweet 1:世界@名無史さん:2010/09/12(日) 12:26:40 ID:0 社会的・文化的な性のありように関する歴史について語ろう。 社会と同様に、「ジェンダー」(ここでは社会的・文化的性としての意味)は絶えず変化する。 例えば、ロンドン大学のロバート・プローミンの調査によれば、性によって有意差があるとされる 身体・精神機能でも、実際の分布上はその80%は重なっているのが普通である。 このデータが表すように、農事主体の家事的労働では家族は 男女とも家の周囲で労働することはある程度可能であった。 また総力戦となった第二次世界大戦時の連合国および枢軸国では、男性が徴兵され戦場に出向いている間 女性が工場労働に従事することになり、その後に労働力として社会参加することの大きなきっかけとなった。 http://ja.wiki

    kotobuku
    kotobuku 2011/07/08
    ジェンダーについて
  • 世界同時少女革命ーディズニー映画と「戦闘美少女」 - 熊田一雄の日記

    http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201004090333.html 『朝日新聞』2010年4月9日号、より転載 19歳、アリスは戦う 奇才ティム・バートンが3D映画 奇才ティム・バートン監督が、「不思議の国のアリス」を題材に3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」を撮った。19歳になったアリスが再び不思議の国で冒険を繰り広げる。バートン監督は「素晴らしい人間は皆正気じゃない」というメッセージを込めたという。17日から公開される。 今回のアリスは英国の上流社会に息苦しさを感じている女性。親が決めた男性に求婚された時、服を着た白ウサギが現れて別世界に連れ込まれる。そこは残忍な赤の女王が支配する「アンダーランド」と呼ばれる場所だった。 ■「素晴らしい人間は皆正気じゃない」 バートン監督は社会に適合出来ない少女の成長を描く。「僕自身が子供の時、周囲に奇妙

    世界同時少女革命ーディズニー映画と「戦闘美少女」 - 熊田一雄の日記
  • ジャンヌ・ダルクと任侠ー新渡戸稲造再考− - 熊田一雄の日記

    『愛知学院大学人間文化研究所所報』36号より転載(2010年9月刊行) <題名>「ジャンヌ・ダルクと任侠ー新渡戸稲造再考ー」 1.新渡戸稲造とジャンヌ・ダルク 「武士道」(1900年)で知られる新渡戸稲造(1862-1933)が生涯ジャンヌ・ダルクを崇拝していたことは案外知られていないと思われる。 祖父のジャンヌ・ダルクに対する崇敬の思いは、明治十一年、札幌にいた十六歳頃に始まり、当時のノートによれば、彼はキリスト、ジャンヌ・ダルク、仏陀、モハメッドを精神の糧にしていた。ジャンヌの神と国王への献身は、祖父の心奥にあった武士の忠誠心と呼応して相通じるものがあったに違いない、と後年祖母はしみじみと語っている。しかも祖父自身若いときから、神秘的な体験をしていたそうである(加藤1997)。 要するに、新渡戸は実は西欧の騎士道的な「女性の男性性」に自己同一化していたのである。新渡戸自身、自分が「神経

    ジャンヌ・ダルクと任侠ー新渡戸稲造再考− - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    2003年のハリウッド映画「ラスト・サムライ」に端を発する現代日本のサムライ・ブームの正体は、ジャンヌ・ダルクのブーム
  • 目玉おやじの復権 - 熊田一雄の日記

    *「愛知学院大学人間文化研究所所報」34号より転載 ポストモダンとも「第二の近代」とも表される現代の日における理想的な父親像は、マンガ=アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」(水木しげる原作)に登場する「目玉おやじ」ではないだろうか。 梶原一騎原作のスポ根マンガ「巨人の星」に登場する星一徹と比較すると、目玉おやじ的父性の特徴が見えやすい。高度経済成長期の国民的アニメ「巨人の星」における「星一徹ー星飛雄馬」の父ー息子関係は、日が敗戦から奇跡的な経済復興に向かう過程での、「人種/ジェンダー/精神分析」の関係を鮮やかに表現していた。否認されている強烈なアメリカ・コンプレックスとアメリカ白人に対する憎悪。「父に鍛えられて、息子は(経済戦士という)同じ道で父を越える、そしてアメリカ人に負けない男性にならなければならない」という「父ー息子関係」の理想。「思いこんだら試練の道を行くが男のど根性」という「男の意地」

    目玉おやじの復権 - 熊田一雄の日記
    kotobuku
    kotobuku 2010/08/14
    目玉おやじは、息子を「見守る父」、ひいては息子を「導く父」である。「少年よがんばるなかれ」「なまけ者になりなさい」「父性」の本質は子供を「見守る」ことにある
  • 村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記

    現在放映中のヘアカラー(ダリヤ社)のテレビCMにおけるキャッチフレーズは、「パパである前に男であれ!」です。しかし、現代日では「ママである前に女であれ!」とはまだおおっぴらには言えないと思います。 もはや社会現象と化した村上春樹さんの大ベストセラー『1Q84』では、男性主人公「天吾」の母親は、夫がいながら赤ん坊の天吾を連れて別の男と駆け落ちして、眠っている天吾の傍らでその男とセックスしていたが、その男に絞め殺されてしまったと設定されています。「母である前に女であろうとした」女性を簡単に殺してしまうところに、「フェミニズムに理解がある」つもりでいる村上春樹さんの「無意識の女性嫌悪」を見ることができると思います。 『ノルウェーの森』における作者の無意識の女性嫌悪については、上野・富岡・小倉『男流文学論』(筑摩書房、初出1992年)にも指摘があります。渡辺みえこ『語り得ぬもの:村上春樹の女性表

    村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    村上春樹さんの女性観。「若い女性の肉体に、中年女性の気配りを兼ね備えている女性がいいなあ。レズビアン?俺が男の味を教えてやるぜ。それでもわからなければ、排除してやる。」ということではないでしょうか。
  • 処女厨的な、あまりに処女厨的な - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    処女性についての議論が一部で続いているが、もうぐだぐだ。ケレーニーの「コレーについて」(『神話学入門』収録)とレヴィ=ストロースの『親族の基構造』くらい読んでから来いよなと思わなくもなく*1。処女性が性的関係のなかで価値となるのは、父権的家族制度における交換財の使用価値を保証するものだからだ(血族の純潔性の維持)。男性の童貞には触れず女性の処女性にのみこだわるということはそういうこと――id:ululunさんが触れておられたが、童貞と処女の価値はかならずしも等価ではない。そもそも家族制度にバインドされた価値である以上、その価値は文化によって異なる。そうして父権的社会において童貞は守るべき価値ではない。価値付ける必要がないのだ。男性は交換される財ではないからだ。婚外性交の露見に際し、女性のみを死刑にする文化(たとえばイスラーム)があることは、そのよい証左であろう。 女性の処女性のみを重視し

    処女厨的な、あまりに処女厨的な - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
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