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テクスト論に関するkotobukuのブックマーク (4)

  • 表徴の帝国 - Wikipedia

    『表徴の帝国』『記号の国』(ひょうちょうのていこく・きごうのくに、L'Empire des signes )は、フランスの哲学者ロラン・バルトの著書で、1970年に発表した。バルトは1963年から1969年まで東京日仏学院院長を務めたモーリス・パンゲの招きにより、1966年から1968年に、フランス文化使節の一員として数度来日、計数ヶ月の滞在で日各地を訪れた。その印象を基に記号論の立場から独自(バルト人曰くストーリーのない小説の文体)の日文化論を展開した。 書では、西洋世界が「意味の帝国」であるのに対し、日は「表徴(記号)の帝国」と規定する。ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満たそうとするのに対し、日では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否する記号が存在する。そしてそのような記号は、テクストの意味から切り離されたことで、独自のイメージの輝きを持つものとなる。 歌舞伎

    kotobuku
    kotobuku 2010/07/28
    ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満たそうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否する記号が存在する。記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを持つ
  • ミハイル・バフチン - Wikipedia

    「ドストエフスキーの詩学」初版において、バフチンは、それまでのドストエフスキー研究を、登場人物の思想や心情と研究者が対等にたって、実在の人物のように批評・批判するものや、逆に、登場人物の思想や人格を作者の思想や人格の「表現」として分析したものであって、どちらのやり方も、小説のテキストをそれ自体として捉えたものではないとして批判した。 すなわち、登場人物を実在の人物であるかのように扱いそれと対等の立場で論争・批評してしまうような研究では、作品全体の構造を捉えることはできず、また、その分析の内容も、文学作品としての固有のものではなく、歴史学・社会学的なイデオロギー分析にとどまってしまう。 他方で、そうした諸人物や事件を、作者の思想の「表現」として捉える研究では、畢竟、作者のイデオロギーの分析になるか、あるいは、伝記的な研究へと分析は逸らされ、そのような登場人物の、作者とは異なる固有性は捉えられ

    ミハイル・バフチン - Wikipedia
    kotobuku
    kotobuku 2010/07/28
    客観的に叙述し得る単一的な真理は存在せず、各人の思想が否定されずに尊重される。各登場人物は、作者ドストエフスキーと同じように、1人の人間として思想や信念を固持する権利が与えられている。
  • ジュリア・クリステヴァ - Wikipedia

    ジュリア・クリステヴァ(ユリア・クリステヴァ、Julia Kristeva / Юлия Кръстева、1941年6月24日[1] - )は、ブルガリア出身のフランスの文学理論家で、著述家、哲学者、精神分析家[1]。ユダヤ系の家庭に生まれた[2]。 1965年、給費留学生としてパリに移住し[2]、リュシアン・ゴルドマンやロラン・バルトらの指導を受けた[1]。1973年からパリ第7大学(ドゥニ・ディドロ)の教授を務め[2][1]、現在は名誉教授。彼女の言語学や言語、間テクスト性に関する著作は、文学論雑誌『テル・ケル(Tel Quel)』の共同編集者としての活動を通して、ポスト構造主義的な議論をその特徴としている。彼女は、取り分けフロイトやラカンの精神分析、ロシア・フォルマリズム(彼女はその中で仲介者的な役割を演じていて、それによりミハイル・バフチンのフランスの知的シーンへの紹介者となった

    ジュリア・クリステヴァ - Wikipedia
    kotobuku
    kotobuku 2010/07/28
    『テクストとしての小説』(国文社, 1985年)
  • 間テクスト性 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年11月) 間テクスト性(かんテクストせい)は、テクストの意味を他のテクストとの関連によって見つけ出すことである。テクスト間相互関連性と訳されたり、英語からインターテクスチュアリティーと呼ばれたりすることもある。 ある著者が先行テクストから借用したり変形したりすることや、ある読者がテクストを読み取る際に別のテクストを参照したりすることをいう。但し「間テクスト性」という用語自体、ポスト構造主義者ジュリア・クリステヴァが1966年に作り出して以来、何度も借用され、変形されてきた。 批評家ウィリアム・アーウィンが言うように、この用語は使用者によって十人十色の意味を持って今日に至っており、クリステヴァの来の見

    kotobuku
    kotobuku 2010/07/28
    この用語は使用者によって十人十色の意味を持って今日に至っており、クリステヴァの本来の見方に忠実な者から、引喩や影響のことを言う際の単なるかっこつけとして使う者まで様々である。
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