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2009年3月28日のブックマーク (2件)

  • 2009-03-25

    はてなブックマーク > 愚挙を称える暴挙 - 新小児科医のつぶやき font-da "妊娠中にフルマラソンを走りたいなんて相談を受けた医師に同情します"だから医者って嫌なんだ。誰のための医療なんだろうね/称賛する新聞を叩くのはともかく、なぜ妊婦を?妊婦の体は誰のもの? 2009/03/25 まさにこれが、胎児に人格を認めるか否か、どこに線を引くかなどの中絶問題につながる話題であると思わせられるご意見でした。 Yosyan先生を始めマラソンに参加した妊婦さんの行為を危ういものと認識された方々は、単純に妊婦さんの自己決定権が胎児の権利に優先するとは思われていないはずです。(必ずしもその逆の、胎児に人格を認めるというご意見がすべてでもないでしょうが) ⇒妊娠中絶・パーソン論など ⇒妊娠中絶についての生命倫理学的議論 昨日聴いてきた講演では、乱用薬物、その中でも密造薬物とされる大麻や覚醒剤の話が

    2009-03-25
  • 【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊び

    僕は倫理学についてもシロウトなので、人工妊娠中絶問題について包括的な記述を為すことはできませんにゃ。 ここでは、具体的な事例に対して僕自身はこう判断するけれど、その判断はどのような意味を持つのか、というスタイルで考えていきますにゃ。 中絶=殺人、と仮定すると 「中絶は殺人だ」という言い方がありますにゃ。胎児を僕たちひとりひとりと対等な、人権をもつ1人のニンゲンとして認めた場合、例えば父親に恒常的にレイプされて9歳の女の子が妊娠し、出産に際して生命の危険がある場合でも、中絶は殺人にあたるので認められにゃーというのは、論理的な帰結ということになりますにゃ。 これは、中絶に絡んだ事件でカトリック司教の判断に賛否 - あんとに庵◆備忘録で紹介されている事例ですよにゃ。 とにかく、胎児が僕たちと同じ人権を持つ1人のニンゲンとして認めれば、「強姦よりも中絶(=殺人)の方が大罪」というのは、極めて論理的

    【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊び