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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (2)

  • 「表現の自由」が必要とし、受容すべきもの - 地下生活者の手遊び

    「表現の自由にヒモを付けるな」と主張している人たちが、何人かいるのだけれど、何をいっているのかホントにわっかんにゃーので、そのあたりの疑義を表明しつつ公共圏論に接続していきますにゃ。 「チラシの裏」にヒモはつかない 「チラシの裏」という言い方がありますにゃ。「チラシに裏に何を書こうが勝手にしておくれ」ということですよにゃ。この場合、チラシの裏に書かれた差別主義的言動もワイセツ文書も下品な絵も、そのまま他者の目にはふれずにゴミ箱行きになるのであれば、どんなことを書いてもよいということですにゃ。 ま、当然のことにゃんね。 「表現の自由」というものが、「チラシの裏」に何を書いてもよい自由を意味するのであれば、それはアタリマエもいいところだということになりますにゃ。それは、内心の自由とほぼイコールであり、そもそも制限のしようがにゃー話だ。 もちろん、表現の自由というのは、チラシの裏に何でも書いてよ

    「表現の自由」が必要とし、受容すべきもの - 地下生活者の手遊び
  • 【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊び

    僕は倫理学についてもシロウトなので、人工妊娠中絶問題について包括的な記述を為すことはできませんにゃ。 ここでは、具体的な事例に対して僕自身はこう判断するけれど、その判断はどのような意味を持つのか、というスタイルで考えていきますにゃ。 中絶=殺人、と仮定すると 「中絶は殺人だ」という言い方がありますにゃ。胎児を僕たちひとりひとりと対等な、人権をもつ1人のニンゲンとして認めた場合、例えば父親に恒常的にレイプされて9歳の女の子が妊娠し、出産に際して生命の危険がある場合でも、中絶は殺人にあたるので認められにゃーというのは、論理的な帰結ということになりますにゃ。 これは、中絶に絡んだ事件でカトリック司教の判断に賛否 - あんとに庵◆備忘録で紹介されている事例ですよにゃ。 とにかく、胎児が僕たちと同じ人権を持つ1人のニンゲンとして認めれば、「強姦よりも中絶(=殺人)の方が大罪」というのは、極めて論理的

    【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊び
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