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2010年12月2日のブックマーク (2件)

  • 毎日新聞心のページ - 内田樹の研究室

    今日の毎日新聞心のページにレヴィナスについてのインタビューが載りました。 毎日新聞お読みでないかたのために、転載しておきます。 -レヴィナスとの出会いを。 三十数年前に修士論文を書いている時、参考文献として読み始めました。でも、何が言いたいのか、当時の私の知的な枠組みではまったく理解できなかった。でも、私が成長するために学ばなければならないたいせつなことを述べていることは直感的にわかった。レヴィナスが理解できるような人間になる、それがそれから後の私の目標になりました。 -レヴィナスから見たユダヤ教とは。 第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)後、多くのユダヤ人は「神に見捨てられた」という思いをひきずっていました。なぜ神は天上から介入して我々を救わなかったのか。若いユダヤ人の中には信仰を棄てる人たちも出てきました。その時、レヴィナスは不思議な護教論を説いたのです。 「人間が人間に対して

    kotobuku
    kotobuku 2010/12/02
    わが身の不幸ゆえに神を信じることを止めるものは宗教的には幼児にすぎない。成人の信仰は、神の支援抜きで、地上に公正な社会を作り上げるというかたちをとるはずである。レヴィナス@内田樹
  • 大逆事件の二つの見方 - 猫を償うに猫をもってせよ

    (承前) 今年は大逆事件の百周年だったが、この事件に対する二つの見方の対決は、遂に行われないままだった。というのは、 1、山県有朋によるフレームアップである。管野スガ、宮下太吉ら四人以外は冤罪である。けしからん。 というのと、 2、天皇暗殺を計画した管野スガらは、素晴らしい(ないしそのこと自体を評価すべき)革命家である。 という二つの立場である。 絲屋寿雄は、それまで「1」ばかりが目立ったことに抵抗して、「2」の立場で『管野すが』を書いたのである。しかし黒岩さんは、1970年のこのと、1987年の、および清水卯之助の『管野須賀子の生涯』(2002)を読むと、まったく印象が違う、と言う(*)。しかしそれなら、やはり70年に出た瀬戸内晴美の伝記小説『遠い声』も参照してほしかった。 ところが、ではそれらののどこがどう違うのかを説明しないまま、黒岩さんは、いきなり絲屋著を攻撃するのである。こ

    大逆事件の二つの見方 - 猫を償うに猫をもってせよ
    kotobuku
    kotobuku 2010/12/02
    今年は大逆事件の百周年だったが、この事件に対する二つの見方の対決は、遂に行われないままだった。@猫猫先生