わかりやすい文章を書こうとするのは無駄だ。筆者の自己満足でしかない。人によって読み方は違う。十人十色だ。一人ひとりにローカライズできなければ、ずれた比喩など捨ててしまえ。 文章のほとんどは蛇足。この文章のほとんども蛇足だ。無駄を切り捨ててしまえば、その文章は味のない、書き手のことが何もわからない文章になる。それはつまらないが、伝えたいことが限定しているときは有効な手段だと考える。 コードにコメントを入れるとわかりやすくなる。しかし、それは究極的に考えると不要だ。この喩え話から書き手を想像することができるね。 コメントの無いコードを読解するほどネット民はヒマじゃない。コメントにまみれた、読むのが楽になるよう書かれたものがたくさんある中から、わけのわからないものを見つけたとしてユーザーはそれを読まない。 ブログの書き方として、いくつか出す。 ・わかりやすく書く ・無駄を省いて書く ・書かない
増田虎達さんの思い込みと、脳内補完、個人叩き… ミーアキャットさんは、私が『好き嫌いの問題であり個人的な評価』でしか話をしていないことに不満があるようです。それは池田仮名氏にも「内心に価値基準がある」と指摘されたことですが、そもそも私は最初から私個人の好き嫌いの問題でサードブロガー論を始めました。私の内心が絶対基準です。それは誰でもそうだと思います。自分の内心の基準を公に開示してからぶつけ合って議論を進めていくものです。ところがどうも池田氏もあなたもそれを嫌がりますね。たとえば私の解釈が間違っているのなら、どこがどう違うのかを文章で指摘していただければ、私は嬉しいのですが、あなたは「masudamasterの解釈は間違ってる!」と憤慨してそれで終わりですし、池田氏は私の解釈に異議があるようでしたが、そこらへんを曖昧にふわふわ~っとしながら比喩に満ちた文章を書いてくるのでよくわからなかったの
2013-12-31 大晦日だから、統合失調症を克服してきた話でもしてみようか 健康 理論 1 大晦日だからこんな話をしよう 2013年も、大晦日ですね。 幸せな人も、不幸せな人もいると思います。 今日は、僕の持病である統合失調症の話をしましょう。 これは一種の魔法の時間なんだと、思います。 今回、この記事を書くに至った動機 増田にこんな記事がありました。(この増田は私のことではないです) この子が学生の頃にはメンヘラという言葉さえもありませんでした。 / “引きこもりの弟が統合失調症だった。” http://t.co/bDhur8MQuv 他11コメント http://t.co/OKD9e1SmFc— あべしん_d (@aventi_d) 2013, 12月 30 んで、なんかこんなことを言われた 今回、 山田 (id:bit8)さんから以下のようなツイートがありました。 @aventi
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