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![『うどん県から上京して驚いたこと』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
父親と子どもの間に血縁関係がないことがDNA鑑定で分かった場合、法律上の親子関係を取り消すことができるかが争われた裁判で、最高裁判所は「生物学上の親子関係がなくても子どもの身分の安定を維持する必要があるので、親子関係を取り消すことはできない」などという初めての判断を示し、父親と子どもの関係について、血縁よりも法律上のつながりを優先する判決を言い渡しました。 民法には結婚している妻が妊娠した場合、子どもの法律上の父親は夫と推定するとした「嫡出推定」の規定があります。 しかし、父親と子どもの間で血縁関係がないことがDNA鑑定によって分かった場合、法律上の親子関係を取り消すことができるのか、北海道と関西、四国の3組の夫婦や元夫婦が裁判を起こしていました。 それぞれの裁判のうち、北海道と関西のケースでは、夫側が「血縁がなくても自分の子どもだ」と主張したのに対し、四国のケースでは夫側が「血のつながり
大阪に帰るときは「あいりん地区・西成」に立ち寄るようにしています。僕自身は西成出身でも何でもないんですけど、貧乏とセットだった大阪時代を肌で感じるには最適の場所というか。原点回帰にもっとも相応しい!(気がする) 今回の西成来訪は約3年ぶり。周辺の宿泊施設で1泊してから、朝イチで軽く探索してきました。 ▼「あいりん地区・西成」とは? 日本最大のドヤ街・寄り場。ドヤとは安宿のこと。寄り場もしくは寄せ場とは、日雇い労働者の集まるところのこと。 一般的に、大阪、ひいては日本国内でも屈指の治安の悪さで有名。現在の日本で唯一暴動の起こる場所でもある。住民の結核罹患率が高い、ヤクザの事務所やノミ屋が集中しているなど、ぞっとしない話題には事欠かず、市民・観光客に関わらず、一般的にここに立ち寄ることは避けられる。 が、海外の大都市のスラムと比べればその治安は全く良い方であるという見方が強い。ちなみに、国際的
フリーソフトウェアの推進役であるリチャード・マシュー・ストールマン氏が2013年10月に開催されたダブリンのベンチャーイベント「Web Summit 2013」に登壇。なぜフリーダムが必要なのかをユーザーの権利とインターネットがもたらした新しい監視社会の2つの観点で語った。 「フリーダム」に関連する新しい問題とは? リチャード・マシュー・ストールマン(Richard Matthew Stallman)氏といえば、その半生をソフトウェアのフリーダム(自由)のために捧げてきた人物だ。60歳になったストールマン氏は、UNIX全盛だった30年前にすべてをフリーソフトウェアで行なうためのソフトウェア群を揃えることを目標に、GNU Projectを創始。そのなかで欠けていたカーネル部分を開発し、「Linux」と名付けたのがご存じリーナス・トーバルズ(Linux Torvalds)氏だ。その後、Linu
なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこい! リンク先に書いてあるように「承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求」であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。ところが今日のインターネットでは、承認欲求という言葉が罵倒語としてしばしば用いられている。 どうして、承認欲求(笑)として叩かれてしまうのか? 承認欲求がバカにされる社会とはどういう社会で、その社会はどのような個人を生みだし得るのか? このあたりについて、書き溜めてあった4つのブログ記事を順番にアップロードする。 承認欲求は、現代人の重要なモチベーション源 承認欲求という言葉は、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが使った言葉で、彼の欲求段階説のなかでは生理的欲求、安全欲求、所属欲求、自己実現欲求と並んで基本的な人間のモチベーションのひとつとして紹介されている。以下に、マズローの著
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諸般の事情によりブログをやめざるを得なくなった。――はてな匿名ダイアリー 2013年も終盤に入ったので、自分のネットライフを振り返ってみる……と思って下書きをまとめた直後に、気になる文章をはてな匿名ダイアリーで見かけた。「惰性の兆候」「終わりの始まり」「あんがいここが本当のはじまり。」どれも他人事には見えなかった。 今年の俺のインターネットは「残念」だった 今年一年、俺は「インターネットをどのように使うのか」に気をとられすぎて「インターネットをなんの目的のために使うのか」や「インターネットで自分が何をやりたいのか」を忘れてしまっていたと思う。方法論や影響力というツールの問題に囚われすぎていて、目的や欲求を大切にしていなかった。 これは結構大きな失点だったんじゃないか? というか、こうやって言語化してみると失点そのものにしか思えない。 戦術レベルの卓越は、戦略レベルの判断ミスを覆せないのだか
最近面白かった記事を2つ紹介。 オフ会開催するだけでモテる。しかも小銭が稼げる。: うしじまいい肉がじぶんをとる ニコニコチャンネル 毎日同じ居酒屋でオフ会を開催してるだけでモテるという話。そういうのはあるだろうなあと思う。ネットによるコミュニケーションが盛んになっても、やっぱりリアルで人が集まる空間は常に必要とされているのだ。 僕自身も、無職でぶらぶらしてて暇だったから自分でゆるいオフ会を企画したり(もくもく会とか)シェアハウスを作ったりして人を集めて、モテてはないけど何とかそれなりに知り合いを増やしてやってこれた。自分がそういうことをしたのは、自分が既存のコミュニティに新参者として入れてもらうのが苦手だから、自分がいてもいい場所を自分自身で作ろうって思ったのもある。あと、人と喋るのはめんどいけど人の集まる場にはなんとなく混ざってたいというのもあって、そういうのには主催者という立場は都合
http://toyokeizai.net/articles/-/20210 セレブの間で、「スマホ絶ち」が流行っているという記事を見た。そりゃそうだろうな、と思った。そもそも今まで、スマホなどというデジタルガジェットを、四十代、五十代の人がわざわざ買い求めること自体、どこかおかしかったのだ。 スマートフォンのインターフェースは、中年には辛い。ガラケーからスマートフォンに乗り換える際の面倒を差し置いても、まず、あの小さなディスプレイに長時間拘束されること自体が、非常にしんどい。若い頃は、目もまだ丈夫で、老眼にもなっていないから、スマートフォンのインターフェースにも痛痒を感じないだろうが、四十代、五十代にもなって、あの小さな画面を覗いてまわるのはいかにも辛い。健康にも悪そうだ。タブレットはともかく、小柄なスマートフォンのディスプレイで延々とSNSを覗き込んでいては、心が荒む以上に、目が痛む。
プログラミングは未経験だったが、サイトの構築から講師用のマネージメントシステム作りまで、ほとんどのシステムを花房さん1人で作った。全国の大学を奔走して講師を集め、月数十万円にのぼる運営費用は、自らのアルバイト収入と寄付でまかなっている。 お金がなければ、都会に住んでいなければ、良質の受験教育を受ける機会が極端に減る。manaveeを通じ、受験格差を解消したいという。「教育は少なくとも、機会均等じゃないとダメだと思う」 manaveeを始めるまでは「教育に熱い人間ではなかった」。神戸市の母子家庭で育ったが、経済的にも地理的にも苦労した覚えはない。ただ「格差はあかんでしょ」と、自然に、普通に、そう思っていたという。 思いついたその夜にスタート 未経験からサイト構築 発端は3年前の2010年10月。食堂で友人と夕食を食べながら話していた。最初はだたの近況報告だった。「最近、英語を勉強しているんだ
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20131118/1384775000殆どの人が5年位前に思いついていたような話だろうが私は今気づいたからいう。はてブはもう常識を担保してくれない。虚構新聞とかトゥゲッチとか体調悪い子とか見てて思うんだけど、こいつら、もうちょっと調べてから書けないのか、と思いつきでもなんでもいいから話題になれば満足な子ははやいところみんな飽きてほしい。ただ、飽きるまでの間にこういうモヒカンバカどもがネット荒らしてボロボロにするわけだ。昔はこういうのを駆除したり、パッチあてたりする人がそこそこいたと思うんだけどいまってホントにそういう人いないんだよな。 前でも今でも、はてブは、数が多くなればなるほどビッグウェーブに乗りたいだけの何も考えてない人が増えるのは変わってない。ただ、最近までは話題になってる記事であきらかな嘘とか煽りとかにははてブじゃなくて
こういったことが4回連続あったそうなデザイナーです。そういうことがないようにラフ出してもらうんですけどね… だって修正金額払ってもらえないですしね…しっかり仕事して欲しいですよね(´Д` )
先日、ひとりで東京に行く機会があって。 平日に1泊、自由になるのは、到着日の夕方からと、翌日の朝からお昼まで。 結局、美術館めぐりと、ずっと行きたかった、藤子・F・不二雄ミュージアムを巡ってきました。 それはそれで、すごく充実した時間を過ごせたのだけれど。 僕は生まれてから東京に住んだことが一度もありません。 というか、人口100万人以上の「都会」に長い間住んだこともないのです。 人口数十万人程度の地方都市に生まれ、同じような規模の町を何度が転居し、社会人になってからも、人口数万人~数十万人の地方都市を転々としています。 大学に入るときには、東京に憧れてもいたのだけれど、まあそれは、いろんな事情(というか、偏差値とか、僕の人ごみ嫌いとか)があって、実現しませんでした。 中高生くらいのときには、東京に憧れていました。 東京には、近所の書店には並んでいないような面白い本がたくさん並んでいるはず
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131102-00000002-pseven-bus_all イオンに限らず、最近のショッピングモールは暖かい照明に充たされていて、空調も快適だ。あらゆる商品、あらゆるコンテンツ、あらゆるエンターテイメントが、たったひとつの空間に揃っている。広い駐車場、子どもやお年寄りに配慮したアメニティのお陰で、家族連れにも利便性が高い。実際、地方都市に住み、毎週のようにショッピングモールに通っていると、イオニストとまではいかなくても、それ無しの生活など想像できなくなってくる。 “イオンが撤退してしまったら、生活の質はどれぐらい低下するんだろう” そんな事も考える。それぐらい便利なのだ。 県庁所在地ならまだしも、地方の町村部に住んでいる人間にとって、ショッピングモールは商品・コンテンツ・エンターテイメント・文化の一大集
バイトが冷蔵庫はいったりして店つぶして賠償金数千万なんてひどすぎる。だって会社が店を閉店したのは、世間様の空気に屈した(先読みした)からなのに。冷蔵庫の清掃や商品の廃棄、客への補償に対する賠償請求ならまだわかるよ。でも世間力の強さをバイトのせいにするなんてとんでもないよ。 だけど世間様(ブコメとかヤフコメとか2ちゃんしか見てない……)は「そうだ、こいつをつぶせ!」ってゆう。1アウトで人生ゲームセットにしろっていう。賠償金払ったら終わりじゃなく、復学もダメ、まともな就職もダメ、一生日の目を見るなという。 「こういうやつが社会に出る前に潰せてよかったね」みたいなコメントを見かける。「一度失敗した人間は、また失敗するかもしれないから潰せ」ってわけだ。でも「一度失敗した人間は、今度は学習して上手くいくかもしれない」とだって言える。けれど、そうは言わないんだ。 あるいは「社会秩序を乱すことは許されな
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